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スズキヨシカズ幻燈画室

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満月ノ晩ノ蒼色幻燈会 ... 始マリ始マリ

『放浪する人々』と『生きている僕』

a0199297_028477.jpg時間も場所も、「くるくる」と移動します。
今日のお話しの舞台はバルセロナです。

いつの間にかスリアの時間から過去へと遡ってしまっているのです。

僕が何とか潜り込んだピソ(アパート)はバルセロナ港のすぐ近く、バルセロナの目抜き通り、『ランブラス通り』から裏道に逸れた、『ゴシック地区』と呼ばれる古い一角にあった。 バルセロナオリンピック開催に合わせた再開発の手が入るまでは、影の中にもっと深い影が存在し、その中に人々が暮らしている、、、と言うような、とにかく猥雑で危険で異臭に満ちた一角だった。
大袈裟な表現が混ぜ込まれているとお思いでしょう?
とんでもない!
言葉通りにその通りの場所だったのですよ。

「なぜ、そんな場所のアパートに入居したのか?」 そう思われますよね?

もちろんです。 僕だってそう思いますよ。(笑)
a0199297_0491189.jpg入居の理由は単純明快です。
スペイン語がわからないので不動産屋に説明されている内容を理解する事が出来ない上にお金も無かったからいちばん安い家賃の部屋に即決してしまったのです。(もっともだもっともだ)
もちろん物件の下見に、現地にも連れて行ってもらいましたよ。 でも闇に蠢く夜の住人たち(なんてことを!)が眠りについている午前中だったので、「汚い通りの汚いピソだな」くらいにしか思わなかったのです。

「夜の街の住人たちはその素顔を明るい自然光のもとに晒す事はしない。 彼らは(彼女らは)人工の明かりが作り出す濃密な闇の片隅に、じっと息を潜め、自分たちの世界の始まりを、、」みたいなハードボイルドタッチで書き進めたくなる程に、昼と夜とでは街の表情は一変しました。

夜の通りには娼婦たちが立ち並び(午後からですね。午後の早い時間からすでに彼/彼女たちはそこにいました。)、酔っぱらいが溢れ返り、、、。 それも、人種も肌の色も様々に、様々な言語が飛び交っているのでした。
笑い声に叫び声(悲鳴です)、、
とにかく、僕の住むピソは、その喧噪の真っただ中に在ったのでした。

僕の部屋は3階でした。
窓を開けるとピソの中庭が見えました。 四方をピソに囲まれた中庭には、原形を留めぬ程に錆び付き朽ち果てた物々が積み重なっていました。 そして、その中庭を囲むピソには、夜になっても明かりは灯りません。 何故なら誰も住んではいないからです。 厳密に言えば2、3の窓には明かりが灯っていたけれど、、、廃墟と何ら変わらぬ佇まいなのでした。
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              スズキヨシカズ立体作品 『生きている僕』

そうだからといっても、ほとんど負の感情を抱く事はありませんでしたね。
夜更けに帰宅して玄関先でアフリカ系移民のお兄さんに脅されたときも、薬物常用中毒の若いカップルの部屋と間違われて警察に踏み込まれたときも、、、なんか「わくわく」してしまったのは何故でしょう?(苦笑) 感覚が麻痺していたのでしょうか?(きっとそうですね)
でもね、世界は素敵なことがいっぱいなのです。
その目線で行くと、危険なコトに、『素敵なコト』しか目に入らなくなってしまったりするのです。 若さって怖いですね。
これが道徳的に、とても危険な意見なのはわかっています。でも僕を脅した黒人のお兄さんも話してみれば僕と同じような孤独感の中でとても一生懸命生きていたし、逮捕された薬物中毒のカップルはとても愛し合っていました。(それを僕は知っているのです) 悪い事は悪いです。 それは絶対です。 間違いなく悪い事です。 でも、彼らも生きていました。僕と同じように生きていました。僕が言いたいのはそういうコトです。
もちろん若さ故の勘違いもいっぱいあったのは事実ですが、本当に素敵な事も(何処に出しても恥ずかしくない素敵なコトも)確かに存在していたのですよ。

フラメンコのタブラオの話しをします。a0199297_1252522.jpg
ピソの1階部分がフラメンコのタブラオ(フラメンコのライブハウスですね)になっていたので、夕方になると始まるのですよ。「ナニが?」人々のかけ声に縁どられた音楽と、歌と、手拍子と、床を踏み鳴らす足拍子が始まるのです。 夜半過ぎ、、時には朝方まで鳴り止む事無く、遠く近くに鳴り続けていたのです。 けれどもそれらの『音たち』は不思議な事に全く邪魔にもならないし煩いとも感じなかったのですよ。 そして、僕はそれを聞きながら作品を作っていたのです。

その作品タチの中の立体作品(のようなモノタチ)が、今回の文章の始まりから「チロリチロリ」と登場しているこの子たちなのです。
あの頃の僕の同居人ですね。
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彼らは(彼女らは)無口です。
彼らは(彼女らは)コミニュケーションとしての言葉を持たないのです。

あの頃の僕と同じようにです。彼ら(彼女ら)にとっての伝える為の表現手段は『仕草』なのです。
ほんの少しの仕草による『表情』だけだったのでした。

僕一人しか居ないのに部屋はいつでも賑やかでしたよ。

書き始めると記憶って溢れて来るものなのですね。 不思議です。 記憶の領域は不可思議です。

『ゴシック地区』での出来事は数限りなくあります。 殆どが冷静に考えると「それってどうなの?」と疑問符を付けられ添削々除されてしまいそうな事ばかりですが、、何時かきちんと書き留めておきたいな、と思います。   「何時かね」

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             スズキヨシカズ立体作品 『放浪する人々』
by yoshikazusuzuky | 2011-03-01 23:11 | スズキヨシカズ的アート | Comments(4)
Commented by ひめママ at 2011-03-02 00:23 x
スペインでの生活を、同居人(その子たち)達は知っているんですね(^^)その子達とお酒を飲みながら、彼らの見た世界も聞いてみたいですね~。耳を澄ませば聞けるかな。あっ、でもバルセロナ生まれだったら、スペイン語・・・うぐぐ・・挨拶しかわからない。。。

ちなみにひめママ15年前?ぐらいにスペイン語を始めようと数回習ったことがあるんです。but、教えてくれていたメキシコ人が突然国に帰っちゃったんで、私のスペイン語は挨拶で終了してしまいました(^^;
Commented by NON at 2011-03-02 02:22 x
影が ゆらりゆらりと
息をして 歩いて
気だるそうに?
それともたくさんの言葉で話しをして…?

ちいさくゆらりゆらりと
その時間の
その空気の
その記憶をまとったままに
生きているのですね
Commented by yoshikazusuzuky at 2011-03-02 02:22
こんばんわ、ひめママさん。

本当に聞こえてしまったらどうしましょう?(笑)

たくさんの出逢いと別れを繰り返した部屋だからなあ、、、。 思い出しながら油断すると涙出そうで危うくなりますね。 ほんと、いろんなコトがあったもんなあ。

しかし、いま現在の生活にも言えることだけれど、「僕は何故こんなことに首を突っ込んでいるのだろうか?」とか、「あれ? もしかして首、抜けなくなってんでないかい?」みたいなことばかりがどうして僕の周りには多いのかなあ?
僕がそういう状況を望んでいるのでしょうか?
それとも、たまたま偶然にそういった出来事ばかりが僕の周りで起こっているだけなのでしょうか?

たぶん望んでも望まなくてもそうなのでしょうから、考えるだけ、悩むだけ、無駄ですね。(笑)

おやすみなさい、ひめママさん。

Buenas noches, Sra.HIMEMAMA.
Commented by yoshikazusuzuky at 2011-03-02 02:35
こんばんわ、NONさん。

いつも素敵な言葉たちをありがとうございます。

この作品の登場人物たちの実体は、じつはNONさんの言う通り『影』なのです。

影が実体であり、物質としての本体が影なのです。

午前中の光、午後の光、夜明け前の光、夜更けの光、、、様々な光。

刻々とその密度を変化させる光の中でのみ、この作品たちは生きられるのです。

刻々とその密度を変化させる光のみをその物質としての体内に宿し発光させて、『影』と言う実体を投影しているのです。

ゆらりゆらり、、、と。

ゆらりゆらりと、生きているのです。


おやすみなさい、NONさん。

よい夢を、、、。