修復 (5月2日)
場所の記憶が定かではないのだけれど、
バルセロナの大聖堂の裏道に美術品の修復を手掛ける工房があった。
狭い通りに面して大きな(おおきかったっけかな?)硝子窓があり、中で作業をする様子をうかがうことができたんだ。
絵の具の缶や筆や名前のわからない道具たちが雑然と(あるいは整然と)置かれた作業机に向かっていたのは、修復と言う仕事のイメージからは「エッ?」と思ってしまうほどに歳の若い職人さんたちだったと記憶している。
僕は、『修復する』と言う言葉が(行為が)とても好きだ。
その言葉を聞いただけで(その行為を見ているだけで)、「わくわく」と言うよりも「どきどき」してしまう。
それは人の『時間』だとか『想い』だとか『命』だとかに関連した事柄だからかもしれない。
その当時は、彼あるいは彼女らの手元にばかり目を奪われていてそこまで考えが巡らなかったのだけれども、、
「あの工房は修復の勉強ができる学校のような場所だったのかもしれないな」、、、とね
今日の午後、、瓦礫をトラックに積み込んだ後、、、
「ふっ」と自分の足もとのひび割れを見たら、そんな事が(バルセロナのあの光景が)頭をよぎったのでした。
記憶って不思議だね。
突然、何かと何かが繋がってしまったりするんだね。
バルセロナの大聖堂の裏道に美術品の修復を手掛ける工房があった。
狭い通りに面して大きな(おおきかったっけかな?)硝子窓があり、中で作業をする様子をうかがうことができたんだ。
絵の具の缶や筆や名前のわからない道具たちが雑然と(あるいは整然と)置かれた作業机に向かっていたのは、修復と言う仕事のイメージからは「エッ?」と思ってしまうほどに歳の若い職人さんたちだったと記憶している。
僕は、『修復する』と言う言葉が(行為が)とても好きだ。
その言葉を聞いただけで(その行為を見ているだけで)、「わくわく」と言うよりも「どきどき」してしまう。
それは人の『時間』だとか『想い』だとか『命』だとかに関連した事柄だからかもしれない。
その当時は、彼あるいは彼女らの手元にばかり目を奪われていてそこまで考えが巡らなかったのだけれども、、
「あの工房は修復の勉強ができる学校のような場所だったのかもしれないな」、、、とね
今日の午後、、瓦礫をトラックに積み込んだ後、、、
「ふっ」と自分の足もとのひび割れを見たら、そんな事が(バルセロナのあの光景が)頭をよぎったのでした。
記憶って不思議だね。
突然、何かと何かが繋がってしまったりするんだね。
by yoshikazusuzuky
| 2011-05-02 23:37
| スペイン残像
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