ぜったいにひらかない宝箱(30)〜宝箱を閉じる〜
3月11日午前8時、
昨晩まで降り続いた雪は止み、僕の頭上には快晴の蒼い空が広がっていました。
午前8時50分、
僕は矢吹インターチェンジから東北自動車道を上り
福島市に向かいました。 福島西インターチェンジで降りて『風花画廊』に用足しに行きました。
町中道路に雪はありませんでしたが風花画廊には「どっさり」と雪が積もっていて画廊主の後藤五木氏は「ここだけたくさんふったのです」と、まるで物語の一節を話すような口調で言いました。(僕にはそんな風に聞こえた、、というだけです 笑) 風花画廊で用をすませて再び福島西インターチェンジから東北自動車道を下り那須インターチェンジでおりて『Bagel que-veau ”ベーグル クー・ボー”』に寄って、ここでも用を足しました。 午後1時30分、Bagel que-veau ”ベーグル クー・ボー”から国道4号線に出て再び北上、那須町文化センターに作品搬出に向かいました。
那須町文化センターでは3月11日、震災から一年目の復興を願う催しが行われていました。 午後2時46分、展覧会会場でも震災により犠牲になった方々への黙祷を捧げました。 文化センターの正面玄関には、『絆』の文字を囲むように(包むように)蒼く瑞々しい竹の中にキャンドルを入れた明かりが灯されていました。
たくさんたくさん、、灯されていました。
僕は、その清らかに温かい明かりを見ながら、いつか仙台の空に見た、たくさんの半透明の発光体のコトを思い出していました。 「あれは魂だったのではないかしらん」 そうあらためて思いました。
午後4時、展覧会は無事に終了しました。
午後5時。 展覧会場は、またもとの、僕の知らない空間へと戻ってゆきました。
僕の知らない「白い空間」です。
僕は展覧会の後にいつも感じる感情を感じました。
少しだけ「ちくちく」する感情です。
時刻は夕方の5時半を過ぎ6時に近づいていました。
空模様があやしくなり始めていました。
「ぱらぱら」と小雨が降り始めていました。
僕は作品を何重にも透明なビニールシートで包み(くるみ)、車の屋根にしっかりと固定しました。
そして那須町文化センターを後にしたのでした。
那須町文化センターまで足を運んで僕の作品を観て下さった皆さんに感謝します。
「ありがとうございました」
(微笑)
それではまだお伝えしていなかった10日土曜日の宝箱を閉じる作業をご報告します。
土曜日午前中教室の子どもたちの
閉じられる前の『宝箱』と『たからのいし』と『宝物』です。
マリンちゃんの『たからのいし』と『宝物』です。
ミーちゃんの『たからのいし』と『宝物』です。
ダイキちゃんの『たからのいし』と『宝物』です。
いくりちゃんの『たからのいし』と『宝物』です。
カイトの『宝物』たちです。
ツバサの『宝物』たちです。
すずちゃんの『宝物』たちです。
ハヤトの『宝物』たちです。
そして、、、
「閉じられました」 、、、と? いつもなら「閉じられました」と書いてしめるところなのですが、なぜだか閉じられた箱を写真に撮っていない僕なのでした。 「バタバタバタバタ」してんですよ、、なぜだか土曜日の教室ってね。
それが理由なのかどうかはわからないけれど(それが理由です! 笑)
午後の教室でも『閉じられた宝箱』を写真に撮り忘れている僕です。 (とほほ)
、、、と言うわけで
そのやはり写真を撮り忘れている土曜日午後の子どもたちの、
閉じられる前の『宝箱』と『たからのいし』と『宝物』です。
ゆいかちゃんの『たからのいし』と『宝物』です。
こはなちゃんの『たからのいし』と『宝物』です。
ちぐさちゃんの『たからのいし』と『宝物』です。
ゆうかちゃんの『たからのいし』と『宝物』です。
かすみちゃんの『たからのいし』と『宝物』です。
そして第一回目の宝の箱を閉じる作業の最後を飾りますのは、
テルの『たからのいし』と『宝物』です。
そして、、、
そして、
写真に撮り忘れはしましたが
コレらの宝箱たちも滞りなく無事に「閉じられた」のでした。
(微笑)
那須町での出来事でもうひとつご報告したいコトがあるのですが、それはまた次の機会に。
東日本大震災より一年、、、。
「日常が日常として繋がってゆきますように」
祈りを込めて、
心から
そう願います。
スズキヨシカズ
昨晩まで降り続いた雪は止み、僕の頭上には快晴の蒼い空が広がっていました。
午前8時50分、
僕は矢吹インターチェンジから東北自動車道を上り
福島市に向かいました。 福島西インターチェンジで降りて『風花画廊』に用足しに行きました。
町中道路に雪はありませんでしたが風花画廊には「どっさり」と雪が積もっていて画廊主の後藤五木氏は「ここだけたくさんふったのです」と、まるで物語の一節を話すような口調で言いました。(僕にはそんな風に聞こえた、、というだけです 笑) 風花画廊で用をすませて再び福島西インターチェンジから東北自動車道を下り那須インターチェンジでおりて『Bagel que-veau ”ベーグル クー・ボー”』に寄って、ここでも用を足しました。 午後1時30分、Bagel que-veau ”ベーグル クー・ボー”から国道4号線に出て再び北上、那須町文化センターに作品搬出に向かいました。
那須町文化センターでは3月11日、震災から一年目の復興を願う催しが行われていました。 午後2時46分、展覧会会場でも震災により犠牲になった方々への黙祷を捧げました。 文化センターの正面玄関には、『絆』の文字を囲むように(包むように)蒼く瑞々しい竹の中にキャンドルを入れた明かりが灯されていました。
たくさんたくさん、、灯されていました。
僕は、その清らかに温かい明かりを見ながら、いつか仙台の空に見た、たくさんの半透明の発光体のコトを思い出していました。 「あれは魂だったのではないかしらん」 そうあらためて思いました。
午後4時、展覧会は無事に終了しました。
午後5時。 展覧会場は、またもとの、僕の知らない空間へと戻ってゆきました。
僕の知らない「白い空間」です。
僕は展覧会の後にいつも感じる感情を感じました。
少しだけ「ちくちく」する感情です。
時刻は夕方の5時半を過ぎ6時に近づいていました。
空模様があやしくなり始めていました。
「ぱらぱら」と小雨が降り始めていました。
僕は作品を何重にも透明なビニールシートで包み(くるみ)、車の屋根にしっかりと固定しました。
そして那須町文化センターを後にしたのでした。
那須町文化センターまで足を運んで僕の作品を観て下さった皆さんに感謝します。
「ありがとうございました」
(微笑)
それではまだお伝えしていなかった10日土曜日の宝箱を閉じる作業をご報告します。
土曜日午前中教室の子どもたちの
閉じられる前の『宝箱』と『たからのいし』と『宝物』です。
マリンちゃんの『たからのいし』と『宝物』です。
ミーちゃんの『たからのいし』と『宝物』です。
ダイキちゃんの『たからのいし』と『宝物』です。
いくりちゃんの『たからのいし』と『宝物』です。
カイトの『宝物』たちです。
ツバサの『宝物』たちです。
すずちゃんの『宝物』たちです。
ハヤトの『宝物』たちです。
そして、、、
「閉じられました」 、、、と? いつもなら「閉じられました」と書いてしめるところなのですが、なぜだか閉じられた箱を写真に撮っていない僕なのでした。 「バタバタバタバタ」してんですよ、、なぜだか土曜日の教室ってね。
それが理由なのかどうかはわからないけれど(それが理由です! 笑)
午後の教室でも『閉じられた宝箱』を写真に撮り忘れている僕です。 (とほほ)
、、、と言うわけで
そのやはり写真を撮り忘れている土曜日午後の子どもたちの、
閉じられる前の『宝箱』と『たからのいし』と『宝物』です。
ゆいかちゃんの『たからのいし』と『宝物』です。
こはなちゃんの『たからのいし』と『宝物』です。
ちぐさちゃんの『たからのいし』と『宝物』です。
ゆうかちゃんの『たからのいし』と『宝物』です。
かすみちゃんの『たからのいし』と『宝物』です。
そして第一回目の宝の箱を閉じる作業の最後を飾りますのは、
テルの『たからのいし』と『宝物』です。
そして、、、
そして、
写真に撮り忘れはしましたが
コレらの宝箱たちも滞りなく無事に「閉じられた」のでした。
(微笑)
那須町での出来事でもうひとつご報告したいコトがあるのですが、それはまた次の機会に。
東日本大震災より一年、、、。
「日常が日常として繋がってゆきますように」
祈りを込めて、
心から
そう願います。
スズキヨシカズ
by yoshikazusuzuky
| 2012-03-11 23:11
| かいがきょうしつ リベラ
|
Comments(0)