くろいろえのぐでいろとりどりにばらのはなをかく(2)
12日木曜日は、
風は強かったけれども、ものすごく天気のよい一日でしたね。
教室花壇の水仙が花開かせました。 「ひだまりのようにあたたかなきいろです」
チューリップたちの葉もずいぶんと大きくなりました。
チューリップたちの葉が形作る不思議な「くねくね曲線」の中から可愛い蕾(かわいいつぼみ)が出を待っていますね。
もうすぐ子どもたちを色とりどりのチューリップの花たちが出迎えてくれますよ。 (^〜^)
展覧会のご案内をさせて下さい。
『田中 竜 木版画展』
福島県福島市の『珈琲 楓舎』で来週の月曜日、16日まで開かれています。
田中竜さんは福島の作家さんだそうです。
「、、だそうです」と言うのは、
僕は田中竜さんについての詳しい資料を手元に持たないので、、 なのですが、
日本画を描かれる作家さんだと伺いました。
今回の展覧会はタイトルの通り木版画による展示でしたが、数点の日本画作品も見ることが出来ます。
同じ作家さんから生み出される作品でも、
素材的な(画材や技法による)表現方法の違いだけでこんなにも作品が持つ物語性は変わってくるモノなのだなあ、、 と思いながら、それぞれの作品がモノ語る言葉たちに耳を傾け観させていただきました。
説明的な紹介の仕方をしてはいけない作品だと感じたので断片的な画像として写真を撮らせていただきました。 ぜひ皆さんの自身の目で、作品の持つ世界観と全体像を確認していただければと思います。
それは言うならば、
「別次元に同時に存在する二つの世界の狭間からそれぞれの世界を覗き込んだ風景の様だ、、」
と僕は感じました。
毎回『珈琲 楓舎』で開かれる展覧会では、
その展覧会限定でブレンドされた珈琲豆が用意されます。
その珈琲豆は、『齋藤哲也』こと『テッちゃん』が(逆だってば! 笑)作家さんとその作家さんの作品たちから受け取ったイメージを、
組み立てては崩し崩しては組み立て、、、
試行錯誤し生み出されるその香りと味わいは、
展覧会の作品たちと同じくらいの存在感を放つモノです。
今回の珈琲豆は『TOKI NO HAZAMA』と言いました。
その素敵な名前の珈琲の香りが、会場内に飾られた作品たちの物語を語り聞かせてくれました。 (微笑)
『田中 竜 木版画展』
4月16日(月曜日)まで、
福島市荒井字横塚3−252、『珈琲 楓舎』にて開催されています。
営業時間は、午後1時から午後8時までです。
二つの世界の狭間から流れ出た二つの時間(とき)が混じり合う境界線上に立って、
その空間に漂う珈琲の香りの中に、
意識を浮遊させてみて下さい。
(微笑)
さて、それでは今日も『くろいろえのぐでいろとりどりにばらのはなをかく(黒色絵の具で色とりどりにバラの花を描く)』のご報告です。
2回目は、12日木曜日の子どもたちです。
新年度が始まって一週間がたちました。
新しい環境や人間関係(もちろん子どもたちにも人間関係の悩みはあります)に対する子どもたちの反応もさまざまですが、
みんなにそろそろ疲れが見え始めていますね。
リベラの各曜日でも同じコトが起こっています。
、、とは言っても些細なことなのですがそれを『些細』と判断してしまっても良いものなのか? 子どもたちの全ての言動と行動、 そして僕自身の言動と行動を常に気にかけながらの毎日の教室です。
或る、、 やはり絵画教室を開いていた絵描きさんが児童心理学の勉強をする為に学校へ通っていた、、 と言う話を前に聞いたことがあったのですが、それは今の僕にも必要なコトなのかもしれません。
こうして10年以上の時間を子どもたちと一緒に過ごして来て、そんなふうに考える頻度が増して来ています。
それは『子どもたちのため』ばかりではなくて『僕自身の為にも』と言う意味でです。
自身の経験に基づく判断力だけではどうにもならないコトが多々あります。
しかも僕の中にあるものなんて微々たるモノで、、、。
まるで魔法瓶の確認窓から減り続けるお湯の量が見えているみたいに「どんどん」「どんどん」減り続ける一方です。 ふたを開けて、新たに水を注ぎ足すことさえ出来ずにいるコトに苛立ちさえ覚えます。
(何も行動に移せない自分に対する苛立ち、、です)
誰かと何かを分かち合うためには、
自分自身がそれに見合う人間であらねばならないことに、(あり続けねばならないコトに、)
かすかな不安を感じ、
かすかに怯えています。
( 、、、)
風は強かったけれども、ものすごく天気のよい一日でしたね。
もうすぐ子どもたちを色とりどりのチューリップの花たちが出迎えてくれますよ。 (^〜^)
展覧会のご案内をさせて下さい。
『田中 竜 木版画展』
福島県福島市の『珈琲 楓舎』で来週の月曜日、16日まで開かれています。
僕は田中竜さんについての詳しい資料を手元に持たないので、、 なのですが、
日本画を描かれる作家さんだと伺いました。
今回の展覧会はタイトルの通り木版画による展示でしたが、数点の日本画作品も見ることが出来ます。
同じ作家さんから生み出される作品でも、
素材的な(画材や技法による)表現方法の違いだけでこんなにも作品が持つ物語性は変わってくるモノなのだなあ、、 と思いながら、それぞれの作品がモノ語る言葉たちに耳を傾け観させていただきました。
それは言うならば、
「別次元に同時に存在する二つの世界の狭間からそれぞれの世界を覗き込んだ風景の様だ、、」
と僕は感じました。
その展覧会限定でブレンドされた珈琲豆が用意されます。
組み立てては崩し崩しては組み立て、、、
試行錯誤し生み出されるその香りと味わいは、
展覧会の作品たちと同じくらいの存在感を放つモノです。
今回の珈琲豆は『TOKI NO HAZAMA』と言いました。
4月16日(月曜日)まで、
福島市荒井字横塚3−252、『珈琲 楓舎』にて開催されています。
営業時間は、午後1時から午後8時までです。
二つの世界の狭間から流れ出た二つの時間(とき)が混じり合う境界線上に立って、
その空間に漂う珈琲の香りの中に、
意識を浮遊させてみて下さい。
(微笑)
さて、それでは今日も『くろいろえのぐでいろとりどりにばらのはなをかく(黒色絵の具で色とりどりにバラの花を描く)』のご報告です。
2回目は、12日木曜日の子どもたちです。
新しい環境や人間関係(もちろん子どもたちにも人間関係の悩みはあります)に対する子どもたちの反応もさまざまですが、
みんなにそろそろ疲れが見え始めていますね。
リベラの各曜日でも同じコトが起こっています。
、、とは言っても些細なことなのですがそれを『些細』と判断してしまっても良いものなのか? 子どもたちの全ての言動と行動、 そして僕自身の言動と行動を常に気にかけながらの毎日の教室です。
こうして10年以上の時間を子どもたちと一緒に過ごして来て、そんなふうに考える頻度が増して来ています。
それは『子どもたちのため』ばかりではなくて『僕自身の為にも』と言う意味でです。
しかも僕の中にあるものなんて微々たるモノで、、、。
まるで魔法瓶の確認窓から減り続けるお湯の量が見えているみたいに「どんどん」「どんどん」減り続ける一方です。 ふたを開けて、新たに水を注ぎ足すことさえ出来ずにいるコトに苛立ちさえ覚えます。
(何も行動に移せない自分に対する苛立ち、、です)
誰かと何かを分かち合うためには、
自分自身がそれに見合う人間であらねばならないことに、(あり続けねばならないコトに、)
かすかな不安を感じ、
かすかに怯えています。
( 、、、)
by yoshikazusuzuky
| 2012-04-13 00:00
| かいがきょうしつ リベラ
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Comments(1)