世界を繋げる(6)
『この地球という惑星の表面には、われわれ人類と同じほどおびただしい別の存在が、われわれの知らないやり方でその生命を営んでいる。そしてただ存在の振動(バイブレーション)がわれわれと異なるというだけで、人類から隔てられている。もしもそうしたものの存在が実際に証明できたならば、辿り着く結論はいったいどのようになるのか、人知で理解するのは難しい。
人間の肉眼は、色のスペクトルを決定する限られた振動のなかで物体をとらえる。本来色のスペクトルは無限の振動を持つのだが、われわれの肉眼はその振動を使いこなしていない。もしもっと短いか、もしくは長い振動を持つ物質で構成された生きものの種族が存在すると考えれば、われわれ自身の振動の波長を調整できなければ、その種族は目に見えないわけである。
霊視能力者と呼ばれる人たちには、自分たちの振動をそれら別の振動をもつ種族に合わせて調整する力がある。またこれまでの私の理解から言っても、ほかの人々の目には見えないものを見ることができる人たちにも、同様の能力があるということは、科学的に十分あり得ることである。
もしその物体がたしかにそこに存在し、もし人間が発明的な頭脳の力を発揮してこの問題に取り組み、現在の私たちには想像もつかない「超能力眼鏡」のようなものが発明されれば、だれもがまったく新しい状況に馴染めるようになることもあり得よう。またもし高圧電流が用途に合わせ、機械装置で低圧電流に変換されることができるならば、エーテルの振動や光波についても、類似したことが起こり得ると考えてもなんら不思議ではない。』
この文章はイギリスの作家『アーサー . コナン . ドイル( Arthur Conan Doyle)』が1922年に著した『妖精の出現(The Coming of the Fairies)』の中で語った『彼の言葉』です。
「ドイルに一票!」
(微笑)
それでは、
12日(土曜日)午後の子どもたちの『世界を繋げる』です。
(え? いまの前振りはなんだったのか?妖精の話は続かないのかって?)
(え? 続けていいんですか?そんなコト言うと、、めっちゃ続きますよ!! 笑)
午後の子どもたちは一気に描き込んでおりました。 (絵を描くのに「一気に描き込む」なんて表現はあるのかな?)
「がんがん」描いておりましたよ。
がんがん描くとどうなるか?と言うと、、とうぜんたくさんの絵が表されます。
しかし突然に大量のエネルギーが放出されると一時的なエネルギー不足状態に陥ってしまって作品の「ドコか」に影響が出てしまったりするのです。
もちろん描きたいだけ描いて良いんだよ。良いのだけれど、、「枚数だけが重要なのではないですよ!」ってコトです。
「何枚も何枚も次々に描きなぐった絵には無いものを、じっくりと描いた一枚の絵は持っているんですよ!」ってコトです。 (「たくさん描きなぐる」と「たくさん溢れ出す」の違いはわかってね)(たくさん溢れ出すモノたちを描き留めてあげることは何より大切ですから)
展覧会を観終わった時に楽しい気持ちになっている時がありますよね。 それは作者も楽しい気持ちで作品を作ったからですよ。
展覧会を観終わった時に悲しい気持ちになった時は、きっと作者も悲しかったのだと思います。
嬉しい気持ちになるのも、不思議な気持ちになるのも、不安な気持ちになるのも、、 みんな同じだと思います。
いっぱい描くなら100枚とか200枚とか描いてみな。 (いっぱい描くには100枚とか200枚とか描くくらいのパワーと心構えが必要だよ! 、、、って意味です) (2枚描くのも、5枚描くのも、10枚描くのも36枚描くのも、100枚、200枚描くのも同じコトなんだよ、、って意味です)
100枚とか200枚とか描くのも、1枚の絵をじっくりと納得ゆくまで描くのも、同じ心構えで同じ愛情を注ぎ込みながら描かなければならないんだよ、、 とヨシさんは思うのです。
「枚数は重要ではありません」
「何をどんな気持ちでどれだけいっしょうけんめい描いたか(描いてあげられたか)が重要なのです」
、、ってコトです。
(微笑)
それでは作品たちにつけられた題名です。
『うさぎといぬ』『いぬとりす』『のぞくねこ』『かざりのながれぼし』『あなのにじ』『ほしのきのこ』『たいようのほし』『レインボーこうじょう』『夜空のアート』『真夏の日の庭』『ブルーバラード』『ほしのくに』『リンゴンリンゴン』『赤ずきん』『きんちゃんきんぎょばちに』『57年生きたひまわり』『ライオン花』『いえのマーチ』 、、、などなどなど
いっぱいだあー!
どの題名が気になりますか?
どの題名がどの作品だかわかんないくらいの題名がありますよね?
みんな、どんなコトを考えながら題名をつけているのでしょう、、、と思って訊ねてみても、
絶対に応えは返っては来ないのでした。 (笑)
さあ!
今週も一週間描いてもらいますからね。
今週はもう少しテーマを絞り込んでみようかな、、と僕が考えても子どもたちが同意しない限り実現はしないのですがね。 (苦笑)
誰かに言われました。
「子どもたちになめられてんじゃない?」
そうかな?
僕は、
「子どもたちになめられてるかな?」
でも、、
それはそれで楽しいかも
、、、ね?
「やらせる」(強要する?)ってどうやればいいんだろう?
(やらせる?やらせる?やらせる?やらせる?)
なんか『ぼのぼの』的思考の迷宮を彷徨う間、、、 コチラをどうぞ。(もしよろしければ)
「う〜〜〜ん?」 やっぱりいくら考えてもわかんないからいいや!
(笑)
今日の明け方夢を見ました。
のどかな田園風景、川が流れていて川と平行して白い道がありました。
その道の真ん中に、リベラ小3女子のぴー子ちゃん(仮名)が、しゃがんで何か赤いモノを見つめて笑っていました。 近づいてみるとその赤いモノはヘビでした。 しかもマムシです。 さらにしかもそのマムシは攻撃態勢をとってぴー子ちゃん(仮名)を威嚇しているのに、ぴー子ちゃん(仮名)は笑っているのです。 「ぴー子ちゃん(仮名)ダメだよ! 静かにこっちにおいで!」と言ってもぴー子ちゃん(仮名)は動きません。
はっきり言って、僕はヘビが苦手です。
もっとはっきり言えば、僕はヘビが嫌いです!
夢の中でも嫌です!
でも仕方がありません。
もしかしたらマムシがぴー子ちゃん(仮名)に襲いかかるかもしれないのです。
僕は木の棒を見つけてきて、その棒にマムシを巻き付かせ(勇気あるじゃん、、僕!)遠くの方に放り投げました。 「はあはあ」と荒い息を吐きながらぴー子ちゃん(仮名)の方を振り返ると、ななな、、なんと!ぴー子ちゃん(仮名)が笑いながら川に入って行くところでした。 「ぴー子ちゃん(仮名)ダメだよ! 川に入っちゃダメだよ!」言ってもぴー子ちゃん(仮名)は聞きません。 笑いながら川の上流に向かって泳いで行きます。 僕はあわてて川に飛び込みました。 そして一生懸命にぴー子ちゃん(仮名)を追いかけました。
ここで目が覚めました。
どなたか夢判断をお願いいたします。
では、、 また明日。 (う〜〜む)
人間の肉眼は、色のスペクトルを決定する限られた振動のなかで物体をとらえる。本来色のスペクトルは無限の振動を持つのだが、われわれの肉眼はその振動を使いこなしていない。もしもっと短いか、もしくは長い振動を持つ物質で構成された生きものの種族が存在すると考えれば、われわれ自身の振動の波長を調整できなければ、その種族は目に見えないわけである。
霊視能力者と呼ばれる人たちには、自分たちの振動をそれら別の振動をもつ種族に合わせて調整する力がある。またこれまでの私の理解から言っても、ほかの人々の目には見えないものを見ることができる人たちにも、同様の能力があるということは、科学的に十分あり得ることである。
もしその物体がたしかにそこに存在し、もし人間が発明的な頭脳の力を発揮してこの問題に取り組み、現在の私たちには想像もつかない「超能力眼鏡」のようなものが発明されれば、だれもがまったく新しい状況に馴染めるようになることもあり得よう。またもし高圧電流が用途に合わせ、機械装置で低圧電流に変換されることができるならば、エーテルの振動や光波についても、類似したことが起こり得ると考えてもなんら不思議ではない。』
「ドイルに一票!」
(微笑)
それでは、
12日(土曜日)午後の子どもたちの『世界を繋げる』です。
(え? いまの前振りはなんだったのか?妖精の話は続かないのかって?)
(え? 続けていいんですか?そんなコト言うと、、めっちゃ続きますよ!! 笑)
「がんがん」描いておりましたよ。
がんがん描くとどうなるか?と言うと、、とうぜんたくさんの絵が表されます。
しかし突然に大量のエネルギーが放出されると一時的なエネルギー不足状態に陥ってしまって作品の「ドコか」に影響が出てしまったりするのです。
「何枚も何枚も次々に描きなぐった絵には無いものを、じっくりと描いた一枚の絵は持っているんですよ!」ってコトです。 (「たくさん描きなぐる」と「たくさん溢れ出す」の違いはわかってね)(たくさん溢れ出すモノたちを描き留めてあげることは何より大切ですから)
展覧会を観終わった時に楽しい気持ちになっている時がありますよね。 それは作者も楽しい気持ちで作品を作ったからですよ。
展覧会を観終わった時に悲しい気持ちになった時は、きっと作者も悲しかったのだと思います。
嬉しい気持ちになるのも、不思議な気持ちになるのも、不安な気持ちになるのも、、 みんな同じだと思います。
いっぱい描くなら100枚とか200枚とか描いてみな。 (いっぱい描くには100枚とか200枚とか描くくらいのパワーと心構えが必要だよ! 、、、って意味です) (2枚描くのも、5枚描くのも、10枚描くのも36枚描くのも、100枚、200枚描くのも同じコトなんだよ、、って意味です)
100枚とか200枚とか描くのも、1枚の絵をじっくりと納得ゆくまで描くのも、同じ心構えで同じ愛情を注ぎ込みながら描かなければならないんだよ、、 とヨシさんは思うのです。
「枚数は重要ではありません」
「何をどんな気持ちでどれだけいっしょうけんめい描いたか(描いてあげられたか)が重要なのです」
、、ってコトです。
(微笑)
それでは作品たちにつけられた題名です。
いっぱいだあー!
どの題名が気になりますか?
どの題名がどの作品だかわかんないくらいの題名がありますよね?
みんな、どんなコトを考えながら題名をつけているのでしょう、、、と思って訊ねてみても、
絶対に応えは返っては来ないのでした。 (笑)
さあ!
今週も一週間描いてもらいますからね。
今週はもう少しテーマを絞り込んでみようかな、、と僕が考えても子どもたちが同意しない限り実現はしないのですがね。 (苦笑)
誰かに言われました。
「子どもたちになめられてんじゃない?」
そうかな?
僕は、
「子どもたちになめられてるかな?」
でも、、
それはそれで楽しいかも
、、、ね?
「やらせる」(強要する?)ってどうやればいいんだろう?
(やらせる?やらせる?やらせる?やらせる?)
なんか『ぼのぼの』的思考の迷宮を彷徨う間、、、 コチラをどうぞ。(もしよろしければ)
「う〜〜〜ん?」 やっぱりいくら考えてもわかんないからいいや!
(笑)
今日の明け方夢を見ました。
のどかな田園風景、川が流れていて川と平行して白い道がありました。
その道の真ん中に、リベラ小3女子のぴー子ちゃん(仮名)が、しゃがんで何か赤いモノを見つめて笑っていました。 近づいてみるとその赤いモノはヘビでした。 しかもマムシです。 さらにしかもそのマムシは攻撃態勢をとってぴー子ちゃん(仮名)を威嚇しているのに、ぴー子ちゃん(仮名)は笑っているのです。 「ぴー子ちゃん(仮名)ダメだよ! 静かにこっちにおいで!」と言ってもぴー子ちゃん(仮名)は動きません。
はっきり言って、僕はヘビが苦手です。
もっとはっきり言えば、僕はヘビが嫌いです!
夢の中でも嫌です!
でも仕方がありません。
もしかしたらマムシがぴー子ちゃん(仮名)に襲いかかるかもしれないのです。
僕は木の棒を見つけてきて、その棒にマムシを巻き付かせ(勇気あるじゃん、、僕!)遠くの方に放り投げました。 「はあはあ」と荒い息を吐きながらぴー子ちゃん(仮名)の方を振り返ると、ななな、、なんと!ぴー子ちゃん(仮名)が笑いながら川に入って行くところでした。 「ぴー子ちゃん(仮名)ダメだよ! 川に入っちゃダメだよ!」言ってもぴー子ちゃん(仮名)は聞きません。 笑いながら川の上流に向かって泳いで行きます。 僕はあわてて川に飛び込みました。 そして一生懸命にぴー子ちゃん(仮名)を追いかけました。
ここで目が覚めました。
どなたか夢判断をお願いいたします。
では、、 また明日。 (う〜〜む)
by yoshikazusuzuky
| 2012-05-14 23:11
| かいがきょうしつ リベラ
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