ブログトップ

スズキヨシカズ幻燈画室

suzuky.exblog.jp

満月ノ晩ノ蒼色幻燈会 ... 始マリ始マリ

つながっている

2011年1月に書いたブログにそのコメントが入っていたのは先月9月6日のコトでした。

「素晴らしい作品ばかりです。実は,鑑賞の授業で先生の絵を使わせていただきたく,ご相談したいのです。メールなどの連絡先を伺えないでしょうか。」

差出人は、ローマ字表記の「saito」さん、、とおっしゃる方。
「鑑賞の授業で、、」と言う言葉から学校の先生なのだ、、と思って一瞬で僕の頭に浮かんでしまったのが「サイトウ」先生のお顔。
何回か芸術鑑賞教室のお手伝い(小学校に展示された僕の作品について子どもたちが感じたままに感じてもらう)をさせていただいたコトのある、県内の小学校に勤務されている「サイトウ」先生でした。

「お久しぶりです、、」

震災以来連絡が途絶えていたので、震災も含めた何だかの理由で僕の連絡先がわからなくなってしまったのかも、、 と、僕お得意の早合点の勘違い。 連絡先をコメント欄に記載したのでしたが、なんと今回メールをいただいたローマ字表記の「saito」先生は、茨城県守谷市にある『大野小学校』で3年生を担任されている、「はじめまして」の「saito」先生だったのでした。

お話しの内容はこうでした、、。

3年生の子どもたちが、電子教材(電子黒板やタブレット、携帯ゲーム機のDSの機能など)を使用して図工の公開授業をするコトになった。 絵画作品の鑑賞を授業に取り入れようと、使用する作品をネットで探している中で僕が描いた三枚の象たちの作品に出逢っていただけた、、とのコトでした。

a0199297_0575328.jpg

    (スズキヨシカズ絵画作品 『道標(みちしるべ)』〜「夜」あるいは「ヨル」〜 )


a0199297_0583184.jpg

     (スズキヨシカズ絵画作品 『二人(ふたり)』 〜君にしかわからない歌〜 )


a0199297_059067.jpg

    (スズキヨシカズ絵画作品 『体温』〜「水底(みなそこ)」あるいは「夜明け頃」〜 )

まさに「出逢っていただけた」って表現そのままの出逢いでした。

その後、
幾度かのメールによる書簡往復がありまして、
鑑賞教室も無事終了。

先日「saito」先生から、
かなり厚みのある封筒が届いたのです。

a0199297_11351780.jpg

コレです。

その分厚い中身とは、、、
a0199297_11355988.jpg

「じゃじゃじゃん!」

子どもたちの授業風景とそのとき作られた(DSのカメラ機能や描き込み機能を使って象の背景色を変えたり絵や文字を描き込んだりしているのです! すごいね!!)作品の写真、そして子どもたちの授業レポートと僕に宛てて書いてくれた手紙が、たーーーーーーーーーーーーーーくさん入っていたのでした! (^0^)

もう、、ね?
こんな手紙読んでしまうとね?
遠い近いの距離に関係なく行きたくなってしまうんだよね。

呼んでくれたら行っちゃうかもしれませんよ?
「saito」先生? (^〜^)

「saito」先生に感謝ですね。

そして「saito」先生を通して、
遠く茨城県の小学校の3年生の子どもたちとの出逢いを演出してくれた、
僕の三枚の象の絵たちにも、
感謝です!

僕が授業の中で読んでもらうために子どもたちに宛てて書いた手紙です。




大野小学校3年生のみなさんへ

はじめまして。

ぼくの名前は『スズキヨシカズ』と言います。
みなさんが今日の図工の時間に見てくれた、『3まいのゾウの絵』をえがいた作者です。

ぼくは、みなさんの学校のある茨城県守谷市から150kmはなれた福島県白河市に住んでいます。
こんなに遠くはなれた大野小学校の3年生の教室で、
まだ会ったコトのないみんなが、
まだ会ったコトのないぼくの絵を、
いっしょうけんめい見てくれているコトを考えると、
とてもふしぎなあたたかい気持ちになります。

みなさんは、『3まいのゾウの絵』を見て何を感じてくれたでしょうか?

みなさんの一人一人が感じてくれたコト、、、
そのどれもが正解(あたり)です。
なぜなら、絵を見て何かを感じるコトに、不正解(はずれ)はないからです。
10人の人が絵を見れば、10の感じ方があると言うコトです。

でもみなさんは、これらの絵をえがいた作者が「どんな気持ちで」この絵をえがいたのかを知りたいと思っているかもしれません。

ぼくがどんな気持ちでこれらの絵をえがいたのかをお話ししたいと思います。

まずは、「ぼく」と絵の中にえがかれている「ゾウ」たちとの出会いについてです。

ぼくがこのゾウたちに出会ったのは、東京の上野動物園でした。
電車の出発時間をまっている間に、なにげなく入った動物園で、ぼくはゾウたちに出会いました。
もちろん、ぼくがゾウを見るのははじめてではありませんよ。
でもその日、その場所にいたゾウたちは、ぼくの目には『とくべつなゾウたち』に見えたのです。
「何が?」「どう?」とくべつなのかは、ぼくにもせつめいは出来ません。
「とくべつなコト」とか「ふしぎなコト」ってせつめいできないから「とくべつ」で「ふしぎ」なんですよね?(みなさんは、そんなふうに感じたコトはありませんか?)
けれど、ぼくはそのゾウたちの前から一歩も動けなくなってしまったのです。
けっきょく、その日ぼくは電車を2本のりにがしてしまいました。
だって2時間もぼくはゾウたちの前で立ち止まったまま動けなくなってしまっていたのですから、、、。
そのゾウたちのすがたは、ぼくの目の中に、頭の中に、心の中に、しっかりと残されました。

ぼくは、白河市のアトリエ(「アトリエ」とは、ぼくが絵をえがいている場所、、「お仕事場」のコトです)に帰って来てからもゾウたちのコトばかりを考えつづけました。
考えたくないと思っても考えてしまうのです。
それくらい強くぼくの中に残されたゾウたちを、「ぼくは絵にえがかなければならない」と思いました。

絵をえがくのにかかった時間は6ヶ月くらいだったでしょうか。
そうして出来上がったのが、みなさんが見てくれている3まいの絵です。

ぼくは、絵をえがくときには、じっさいのモノや写真を見ながらえがいたりはしません。
頭の中に残っているイメージ(ぼくが感じたコト)だけで絵をえがきます。

一まいめの絵。
1頭の黒いゾウが右をむいている絵のだいめいは、『「夜」あるいは「ヨル」』と言います。
月の出ていない夜、
ぼんやりとした星の明かりだけしかない、
くらい夜の中にいるゾウです。
大きな耳も、体も、くらい夜の中を歩きつづけて来たので(いろいろなモノにぶつかってしまったのかな?)きずだらけでぼろぼろです。
口を開いているのは、だれかをよんでいるのでしょうか?
でも、元気がなくて死んでしまいそうなくらいに弱っているわけではありませんよ。
ゾウの目は生きています。(生き生きとかがやいています。)
ゾウのほっぺたには赤みがさしていています。
このゾウが、何を探して「まっ暗な夜の中」を歩きつづけているのかは、ぼくにもわかりませんが、きっと何か大切なモノを(「大切ななかま」かもしれません)を探しているのでしょう。
だいめいの中に、漢字の「夜」とカタカナの「ヨル」が入っています。
漢字の「夜」は、時間(とき)をあらわす「夜」です。
カタカナの「ヨル」は、このゾウの名前です。

二まいめの絵。
1頭の青いゾウが左をむいている絵のだいめいは、『「夜明け頃(よあけころ)」あるいは「水底(みなそこ)」』と言います。
このゾウは、夜の中を歩いていたのとはべつなゾウです。
このゾウは、夜が明けるころの時間の中にいます。
みなさんは、「夜が明ける時間」を知っていますか?
群青色(ぐんじょういろ=こい青緑色)の夜が終わるころ、
空気がまるでとうめいな水のように「ゆらめく(ゆらゆらとゆれる)」のです。
夜が終わるころの時間は、まるで水の中にいるようです。
空に残っている星も、ふうけいの中の家も木も、夜の動物たちも、、
全てのモノたちがとうめいな青い水の底(そこ)にしずんでしまいます。
そんな、夜明けころの時間の中に、このゾウは住んでいるのです。
ゾウの体も、その澄んだ(「すんだ」すきとおった)目も、夜明けころの青色にそまって、、とてもとても静かです。
水の底のように静かです。
きっと、このゾウの気持ちも水の底のように静かなのだと思います。


三まいめの絵。
2頭のゾウがえがかれた絵のだいめいは『ふたり』と言います。
2頭のゾウが、おたがいによりそい合いながら、どこかを目指して歩いてゆきます。
ふしぎな目をしたゾウたちだ、、とぼくは思います。
2頭のゾウの年齢(ねんれい)は、いくつぐらいだと思いますか?
若いゾウのようにも見えるし、年老いた(としをとった)ゾウのようにも見えます。

もし若いゾウならば、2頭のゾウの行く先には、すばらしい未来がまっているのかもしれません。しかし、その「すばらしい未来」に行き着くためには、たくさんの困難(「こんなん」たいへんなコトやむずかしいコト)が待ち受けていて、、
2頭の若いゾウはその困難に立ちむかわなければならないコトも知っているのです。

もし年老いたゾウならば、2頭のゾウの行く先にはしずかでおだやかな時間がまっているのかもしれません。2頭のゾウは、さまざまな思い出を語り合いながら、その「しずかでおだやかな時間」がある場所まで、いっしょに歩きつづけて行くのでしょう。

この絵には、もう一つのだいめいがあります。
そのだいめいは、『君にしかわからない歌』と言います。
2頭のゾウがえがかれたこの絵の中には、
この2頭のゾウにしか聞こえない歌が流れつづけているのです。

みなさんにはその歌が聞こえたでしょうか?

もし、みなさんにもその歌が聞こえたとしたら、、
それがどんな歌(音楽?)だったのか、
ぼくにもそっと教えて下さいね。


みなさんが感じたコトと、
ぼくが感じていたコトとは、
きっとぜんぜん違っていたはずです。

でも、むずかしい言い方かもしれませんが、それが『感じる』と言うコトなのだと思います。

自分が感じたコトとちがう感じ方をした人がいても、その人がまちがっているコトにはならないし、もちろん自分がまちがっているわけでもないのです。
だれかが感じたコトを、
「だれかが感じたコト」として自分の中にも受け入れることが出来たとしたならば、
きっとみなさんの心は、
もっともっと深くゆたかな心になるはずです。


ぼくのえがいた絵が、
みなさんが『感じる』コトのお手伝いが出来たことを、
とてもとてもうれしく思います。

いつか本物の絵をもって、
みなさんの教室におじゃまして、
みなさんとお話し出来たらいいな!
そんな楽しいことを想像しながら、
ぼくは、みなさんへのこの手紙を書かせていただきました!


さいごに、
大野小学校3年生のみなさんと、
ぼくの絵を出会わせて下さった斉藤篤子先生に、、
心から感謝(かんしゃ)の、、、

「ありがとう」

、、、です。


                             スズキヨシカズ     』



いつかほんとうに大野小学校3年生のみんなに会いに行けたらいいな、、

そう思います。 (^〜^)



「にゃおにゃおにゃお〜ん」

a0199297_1648764.jpg

今朝はね、
通りの向かいの植え込みの中から僕を呼ぶ「からまりからまりのしげみ猫」に見送られて、、
a0199297_16521458.jpg
「からまりからまりのしげみ猫」の名前の由来は、、 この猫ちゃんは、僕が夜中に教室に一人でいるとやって来て、ガラス戸の外で「にゃおにゃおにゃお〜ん」と3回続けて甘えた声で鳴くので、戸を細く開けてやると、その隙間から「するり」と中に入って来て、僕の足下を「すりすりすり」とからまり通り抜けてから、また外へと出て行ってしまう、ふしぎ猫だからなのでした @^〜^)

、、、に見送られてマイタウン白河に向かいました。

a0199297_17114569.jpg
『公民館習作展』の開会式です。

テープカットも無事済んで、、
a0199297_17132832.jpg
展覧会が始まりました。

展覧会は28日(日曜日)までです。(詳しくは昨日の記事で)


どうぞよろしくお願いいたします。



(微笑)
by yoshikazusuzuky | 2012-10-25 18:25 | スズキヨシカズ的アート | Comments(0)