白河市立白河第三小学校(特別授業)
白河第三小学校に行って来ました。
白三小の周りにも
雪は堆く積まれていて
校門も、、
山肌を削り取りながら前進する
氷河の先端のような色をした
雪の中に、、
深く深く埋もれておりました。
きょうは年間予定外の特別授業です。
6年生90名の卒業制作たる
『自画像』にアドバイスするために
僕は、やって来たのでした。
もう鉛筆による下描きは、
ほとんど描き上がっていていました。
この自画像の下描きは、
参考にする肖像写真と画用紙を
同じ比率で分割して
出来る限り正確に写し取る、、と言う手法で
制作したそうで、
どの子の下描きもしっかりと「自分の顔」になっていました。 (^〜^)
始める前に子どもたちに、
『自画像(自我像)』とは? 、、という話をエラそうに
語ってしまったのですが、(てへ)
僕も10代の頃の油彩とボールペン、そして水彩絵の具で描いた
自画像を4点持って行って
子どもたちに観てもらいながら
話をしたのでした。
みんなは、
自分の顔に何を想うのだろうか?
自分の顔に何かを想うコトは、
自分自身と向き合うと言うコト。
似せて描くだけならば、
それは「似顔絵」という感覚で描けば
じゅうぶんにコト足りるのではないかと思う。
「自画像(自我像)」って、
顔の皮を一枚「ぺろん」とめくったその向こう側(「その下」ではなくて「その向こう側」なんだ)にあるモノが見えてくるのが、
「自画像(自我像)」なんだよ!(気持ちの悪い表現で失礼しました)
その向こう側には、自分にかかわる日々の出来事が記録された
『ボク』とか『わたし』と言う題名の本が、生きて来た時間に比例した冊数存在していて、、
その本の『章』により『文脈』によって
自分の顔に、「色」や「形」の変化として
表情というモノが現れて(表されて)来るのです。
顔は、蓄積された自分の時間(自分が生きて来た時間=自分史)そのモノなのではないだろうか?
だから顔の色も髪の毛の色も目の色も唇の色も、、
すべて「こうでなければいけないんだ!」と言う固定観念に囚われてしまってはいけないんだよ。
「どんな風で在ってもかまわないんだよ!」 、、ね?
、、みたいなコトを
伝わりやすい言葉を選んで
子どもたちに話したのでした。
今回の作品たちが完成する瞬間には、、
たぶん僕は立ち会うコトができません。
この授業で僕がお手伝い出来るのは、
今回一回限りのコトなのです。
でも、素敵な作品群として展示されるのだろうな、、と
制作する子どもたちの
真剣な眼差しを観ていて感じるコトが出来ました。
作品群は卒業式典の会場に飾られる予定です。
卒業式なので僕が入れるコトは不可能ですから、
式典前に、、完成して展示された作品たちを観れる機会を
作っていただけたら嬉しいな、、と 思います。
その時には、みなさんにも感動をお裾分けしますよ。 (^〜^)
コレは、、、
今日の授業の講師料です。 (^〜^) 、、なんて書き方をすると誤解が生じて
話がおかしな方向にいってしまいそうだし
先生の名誉にもかかわりそうなので、
ちゃんと書き添えておきますが、、
今回はボランティアとしての登校でした。 、、で
先生の一人が「ワカサギ釣りの名人」で
その先生から釣果の一部を「お礼の気持ちに」と、お裾分けしていただいたのでした。
それと画像にはありませんがもう一人、「薫製名人」の先生がいらして、、
その先生からは「手作りベーコン」をいただけるのでした。 (うれしうれし)
夕方の教室時間が迫っていて
ものスゴく慌ただしい移動になってしまったのですが、
白河保育園にも明日の予定の確認に寄りました。
予定と材料を確認するだけだったのですが帰り際、、
給食の先生から
「銀紙の包み」を手渡されました。
教室に戻ってから銀紙を開いてみたら、、
子どもたちの
きょうのおやつですね?
やさしい味の大学芋が入っていました。
グルメ番組とかで「優しい味」と言う表現が出てくると、
なんとなく「どうでもイイい茫洋とした味なのかな?」と言うイメージを、
この言葉から僕は受けてしまうのですが、、
いま僕が使った「優しい味」は、
ひらがなの「やさしい味」です。
つまりは、
ほんとうのやさしい味なのです。
給食の先生方の
心のこもった、、
「やさしい味の大学芋」
、、だったのでした。
「ごちそうさまでした」
すごくすごく、、
「おいしかったですよ!」
(^0^)
あすは白河保育園におじゃまします。
保育園の子どもたちの卒園制作も(こちらも「自画像」ですね! ^^)
明日が最終回となります。
では、、
またあした!
(^〜^)
白三小の周りにも
雪は堆く積まれていて
校門も、、
氷河の先端のような色をした
雪の中に、、
深く深く埋もれておりました。
きょうは年間予定外の特別授業です。
6年生90名の卒業制作たる
『自画像』にアドバイスするために
僕は、やって来たのでした。
もう鉛筆による下描きは、
この自画像の下描きは、
参考にする肖像写真と画用紙を
同じ比率で分割して
制作したそうで、
どの子の下描きもしっかりと「自分の顔」になっていました。 (^〜^)
始める前に子どもたちに、
『自画像(自我像)』とは? 、、という話をエラそうに
語ってしまったのですが、(てへ)
自画像を4点持って行って
子どもたちに観てもらいながら
話をしたのでした。
みんなは、
自分の顔に何を想うのだろうか?
自分の顔に何かを想うコトは、
自分自身と向き合うと言うコト。
似せて描くだけならば、
それは「似顔絵」という感覚で描けば
じゅうぶんにコト足りるのではないかと思う。
「自画像(自我像)」って、
顔の皮を一枚「ぺろん」とめくったその向こう側(「その下」ではなくて「その向こう側」なんだ)にあるモノが見えてくるのが、
「自画像(自我像)」なんだよ!(気持ちの悪い表現で失礼しました)
その向こう側には、自分にかかわる日々の出来事が記録された
『ボク』とか『わたし』と言う題名の本が、生きて来た時間に比例した冊数存在していて、、
その本の『章』により『文脈』によって
自分の顔に、「色」や「形」の変化として
表情というモノが現れて(表されて)来るのです。
顔は、蓄積された自分の時間(自分が生きて来た時間=自分史)そのモノなのではないだろうか?
だから顔の色も髪の毛の色も目の色も唇の色も、、
すべて「こうでなければいけないんだ!」と言う固定観念に囚われてしまってはいけないんだよ。
「どんな風で在ってもかまわないんだよ!」 、、ね?
、、みたいなコトを
伝わりやすい言葉を選んで
子どもたちに話したのでした。
今回の作品たちが完成する瞬間には、、
たぶん僕は立ち会うコトができません。
この授業で僕がお手伝い出来るのは、
今回一回限りのコトなのです。
でも、素敵な作品群として展示されるのだろうな、、と
制作する子どもたちの
真剣な眼差しを観ていて感じるコトが出来ました。
作品群は卒業式典の会場に飾られる予定です。
卒業式なので僕が入れるコトは不可能ですから、
式典前に、、完成して展示された作品たちを観れる機会を
作っていただけたら嬉しいな、、と 思います。
その時には、みなさんにも感動をお裾分けしますよ。 (^〜^)
コレは、、、
話がおかしな方向にいってしまいそうだし
先生の名誉にもかかわりそうなので、
ちゃんと書き添えておきますが、、
今回はボランティアとしての登校でした。 、、で
先生の一人が「ワカサギ釣りの名人」で
その先生から釣果の一部を「お礼の気持ちに」と、お裾分けしていただいたのでした。
それと画像にはありませんがもう一人、「薫製名人」の先生がいらして、、
その先生からは「手作りベーコン」をいただけるのでした。 (うれしうれし)
夕方の教室時間が迫っていて
ものスゴく慌ただしい移動になってしまったのですが、
白河保育園にも明日の予定の確認に寄りました。
予定と材料を確認するだけだったのですが帰り際、、
給食の先生から
教室に戻ってから銀紙を開いてみたら、、
子どもたちの
きょうのおやつですね?
グルメ番組とかで「優しい味」と言う表現が出てくると、
なんとなく「どうでもイイい茫洋とした味なのかな?」と言うイメージを、
この言葉から僕は受けてしまうのですが、、
いま僕が使った「優しい味」は、
ひらがなの「やさしい味」です。
つまりは、
ほんとうのやさしい味なのです。
給食の先生方の
心のこもった、、
「やさしい味の大学芋」
、、だったのでした。
「ごちそうさまでした」
すごくすごく、、
「おいしかったですよ!」
(^0^)
あすは白河保育園におじゃまします。
保育園の子どもたちの卒園制作も(こちらも「自画像」ですね! ^^)
明日が最終回となります。
では、、
またあした!
(^〜^)
by yoshikazusuzuky
| 2014-02-26 00:04
| かいがきょうしつ リベラ
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