あの日子どもたちが叫んだ言葉たち
2014年3月11日に開幕した
『復興の祈り展』(東京芸術劇場)、
展示のお話しです。
作品の展示を任せていただいた 、、と言うお話しを
昨日のブログに書きました。
結果から言えば、
それは「素晴らしい展示」になったのです。
なったのですが、、
予定していた三つのテーマ『子どもたちが叫んだ言葉たち』『絵にできるコト〜始まりの世界(新しい町)〜』『自画像〜しょうらいの夢〜』の全てを展示するコトは残念ながら
展示スペース調整の関係で叶わず、『子どもたちが叫んだ言葉たち』作品の中からの展示となりました。
でも素晴らしい展示になっています。(自信を持って「うちの子自慢」です! ^^)
では、展示風景を
ご覧下さい。
リベラの子どもたちに割り当てられた
壁面の中央には、、
僕が寄せた
メッセージが貼られています。
______________________________
『復興の祈り展』併設『東北のこども美術展』
ここで展示されている絵画は、福島県にあります『かいがきょうしつリベラ』に通う子供たちによって、東日本大震災の直後、不安や恐怖の中で描かれたものです。詳しくは以下に続く同教室主宰、スズキヨシカズ氏の寄稿をご覧下さい。これらの絵から伝わってくる「子供たちの叫び声」が、ご来場の皆様方の心に何かしら響くものであれば幸いと存じます。
国民みらい出版
2011年3月11日金曜日の午後は、いつもと同じ午後になるはずでした。
僕は、教室の長机の上に絵の具の準備をしながら子どもたちを待っていました。
午後2時46分、地面は大きく揺れ動きました。
地面ばかりか空気さえも激しく震わせる揺れ方に、教室中の物が跳ね上がり床へと叩きつけられ「大きな音をたてて」砕け散りました。
その音を聞いた瞬間に、『日常』は消えてなくなり、子どもたちとの全ての連絡も途絶えてしまいました。
電話回線が回復し、子どもたちと連絡が取れたのは、それからちょうど一週間後の3月18日のコトでした。それまでは、教室の前に立て掛けた大きな黒板だけが(一方通行だったのかもしれないけれど)唯一の連絡手段だったのです。
子どもたちの安否が確認出来たその頃には、震災とは全く別の問題が持ち上がっていました。福島第一原子力発電所の事故の問題です。その時すでに県外へと避難していた子どもたちもいました。新幹線のホームから、「どうすれば良いのかわからない」と、泣きながら電話をかけて来たお母さんもいました。「どこへも行きたくない」「だれともわかれたくない」と涙を浮かべた子もいました。子どもたちも、そして大人たちにとっても、真っ暗なトンネルの中を手探りで進むような苦しい時が始まっていました。
その3月18日金曜日の夕方に教室を再開しました。
そ の日、教室に来ることができたのは1人だけ。次の日には5人。放射能についての様々な話(事実なのか憶測なのかも判断できない話)が飛び交う中、まだまだ子どもたちは家から出られずにいましたが、教室の机の上には、何時来ても、何人来ても良いように、常に道具を準備して教室の明かりは灯されていました。
教室を再開してからの1ヵ月間に子どもたちはたくさんの画用紙を使いました。「使った」と言うよりも「使わざるを得なかった」と表現した方が良いくらいに、子どもたちは何枚も何枚も何十枚もの絵を描き続けました。
それらの絵は、まるで「子どもたちの叫び声」のようでした。
子どもたち自身があの時に気づいていたかどうかはわかりませんが、子どもたちは必要としていました。「吐き出さなければならないコトを吐き出す手段」を、必要としていたのだと思います。
彩色された作品は、震災からの1ヵ月間に描かれた『子どもたちが叫んだ言葉たち』です。
「絵」にはならない「絵」ばかりですが、その色や形は、あの時の子どもたちの気持ちをとても素直に表現していると僕は思います。
今 回の出品にあたり、あらためて作品の一枚一枚を見返していると、「真っすぐに画用紙に向かい筆を走らせ続けていたあの時の子どもたちの姿」が「まざまざ」 と脳裏に甦って来て涙が溢れ出し画面を滲ませて、 作品を「非現実的なモノたち」に変えてしまいました。 けれども全ては現実に起こり、そして現在も起こり続けている「現実的なモノたち」ばかりなのです。
あの日から三年、いまだに再会を果たせずにいる子どもたちがいます。
「でも……」と僕は思います。 でも、ふくしまに残った子どもたちにも、新しい土地に暮らす子どもたちにも、時間は平等に降り注ぎます。 子どもたちは同じように大きくなってゆきます。 そして、心も強くたくましくなってゆきます。
子どもたちの描く絵や将来の夢を見続けていて僕は、
「子どもたちは大丈夫です!」と叫びたくなります。
子どもたちが描く絵や夢は、
僕たち大人が「叫べない言葉」や「表せない心」を、
代弁してくれているのかもしれません。
子どもたちの作品が、
見て下さる方の心と響き合い解け合ったとき(それがポジティブな意味でもネガティブな意味であったとしても)きっとそこに何かが生まれ、その生まれた何かは解放されるのだと思います。
「かいがきょうしつ リベラ」の子どもたちの絵を観ていただけているコトに、
心から感謝します。 「アリガトウゴザイマシタ」
かいがきょうしつ リベラ 主宰
スズキ ヨシカズ
2014年3月11日
______________________________
「この文章を子どもたちの絵が囲むように展示したいのです」 、、と
リベラっ子たちの作品を担当してくれた
「国民みらい出版」の中嶋さんは言いました。
その言葉と
ともに、、
僕が、子どもたちの絵を
組み上げました。
そしてコチラが、、
展示の
完成形です。
一枚一枚の絵を並べて
観ながら、
時々画用紙を裏返して
描いた子の名前を確認していると、、
3年前のあの時の
教室の光景と、
その光景の中にとけ込んだ
子どもたちの姿が、、
まるで、今この瞬間の出来事であるかのように
「くっきり」とした「色鮮やか」な「映像」として
よみがえってきて、
僕の視界を霞ませて、、
いちいち作業する手を
止めさせたのでした。
リベラっ子たちの展示が整い、
他の様々なジャンルの
作品展示も終了した頃、、(他の作品はヤマト運輸美術部門の方々の手により、作品展示のバランスや天井からの高さまで、メジャーを使用して数cm刻みでの完璧な展示が成されていました。プロの仕事はスゴいですね!)
午後2時15分、
すでに展示室の入り口は、、
開場を待つたくさんの方々で
賑わっておりました。
『復興の祈り展』〜東北のこども絵画展〜
開幕です。
開会式の準備も、、
万端です。
(こちらも映像と音響のプロの方々によって手際良く準備がされておりました)
開会式の画像はありません。
なぜならば、、
僕は一番前に座っていたからです。
そして、
リベラの子どもたちと子どもたちが描いた作品について
お話しをさせていただきました。
展示出来なかった「始まりの世界」を描いた絵なども
開会式に出席されたみなさんには
観ていただきながら、、
話をしました。
ココだけの話、、
ちょっと泣きながら話をしました。 (てへへ)
展示と
会場の様子を、
ご覧下さい。
撮影出来なかった展示室もふくめ、
かなり広いギャラリーでの
大きな展覧会でした。
子どもたちの絵の
向かい側には、、
パネルの展示がされています。
ここには、「国民みらい出版」より刊行された
展覧会と同名の書籍、
『復興の祈り』に寄稿された
各界著名人の方々からの
メッセージが展示されているのでした。
福島県郡山市出身の俳優、
西田敏行さんの慈愛と怒りに満ちた文章は、、
読んでいて心に痛みを感じ
大声で叫びたくなりました。
ここでは、僕の大好きなイラストレーター、
やなせたかしさん(残念ながら昨年の10月に他界されてしまいました
ご冥福をお祈りします)
からのメッセージを
ご紹介させていただきます。
とても短い、
シンプルな言葉たちなのに、、
何故こんなにも心(こころ)に
響くのでしょうか?
ずっとずっと響き続けて
いるのでしょうか?
素敵な素敵な、
言葉たちでした。
会場でたくさんの方々とお話しをしました。
震災直後、
子どもたちのために
たくさんたくさんダンボール箱いっぱいのお菓子と、
その方のお母様が子どもたちのために手作りした
お地蔵様のお人形を送って下さった方とも、、
昨日の会場で初めてお会いしてお話しをするコトが出来ました。
阪神淡路大震災を経験された方ともお話しをしました。
先の世界大戦で、
広島の原子爆弾を体験された方とも
お話ししました。
「子どもたちの作品が明るい色で描かれていて安心しました」
みなさんにそうおっしゃって
いただきました。
「本当ですね」 (微笑)
話を聞かなければ、震災直後に描かれた絵だとは
思えないでしょうね?
子どもたちといっしょに同じ時間を過ごした
僕でさえ、展示した全景を観て
そう思いましたもの。
「展示出来て良かった」 あらためて
そう思いました。 (微笑)
もう一度あの時の子どもたちに(絵と言う触媒を通した子どもたちに)
出逢うコトは、、
正直言って「怖いコト」でもありました。
でも、
もう一度あの時の子どもたちに出逢えて、
良かったな、、と思いました。
僕の中で
きっちりと、震災から3年目の
3月11日を迎えるコトが出来た
と思いました。
こんなにも立派で素晴らしい会場に
リベラっ子たちの絵を
招いて下さった、
『国民みらい出版』代表の小林義隆様、
そしてスタッフの皆様、
そしてそして、リベラっ子たちを担当して下さった
中嶋さんに、、
心から
心からの
感謝の言葉を
贈らせて下さい。
心を込めて、、
「ありがとうございました」
。
(微笑)
『復興の祈り展』〜東北のこども絵画展〜
『東京芸術劇場』(東京都豊島区西池袋1−8−1 JR池袋駅西口)
2014年3月11日(火)〜16日(日)
午前10時〜午後6時(最終日:午後3時終了)
入場無料
どうぞよろしく
お願いいたします。
(微笑)
『復興の祈り展』(東京芸術劇場)、
展示のお話しです。
作品の展示を任せていただいた 、、と言うお話しを
昨日のブログに書きました。
結果から言えば、
それは「素晴らしい展示」になったのです。
なったのですが、、
予定していた三つのテーマ『子どもたちが叫んだ言葉たち』『絵にできるコト〜始まりの世界(新しい町)〜』『自画像〜しょうらいの夢〜』の全てを展示するコトは残念ながら
展示スペース調整の関係で叶わず、『子どもたちが叫んだ言葉たち』作品の中からの展示となりました。
でも素晴らしい展示になっています。(自信を持って「うちの子自慢」です! ^^)
では、展示風景を
ご覧下さい。
リベラの子どもたちに割り当てられた
壁面の中央には、、
僕が寄せた
メッセージが貼られています。
______________________________
『復興の祈り展』併設『東北のこども美術展』
ここで展示されている絵画は、福島県にあります『かいがきょうしつリベラ』に通う子供たちによって、東日本大震災の直後、不安や恐怖の中で描かれたものです。詳しくは以下に続く同教室主宰、スズキヨシカズ氏の寄稿をご覧下さい。これらの絵から伝わってくる「子供たちの叫び声」が、ご来場の皆様方の心に何かしら響くものであれば幸いと存じます。
国民みらい出版
2011年3月11日金曜日の午後は、いつもと同じ午後になるはずでした。
僕は、教室の長机の上に絵の具の準備をしながら子どもたちを待っていました。
午後2時46分、地面は大きく揺れ動きました。
地面ばかりか空気さえも激しく震わせる揺れ方に、教室中の物が跳ね上がり床へと叩きつけられ「大きな音をたてて」砕け散りました。
その音を聞いた瞬間に、『日常』は消えてなくなり、子どもたちとの全ての連絡も途絶えてしまいました。
電話回線が回復し、子どもたちと連絡が取れたのは、それからちょうど一週間後の3月18日のコトでした。それまでは、教室の前に立て掛けた大きな黒板だけが(一方通行だったのかもしれないけれど)唯一の連絡手段だったのです。
子どもたちの安否が確認出来たその頃には、震災とは全く別の問題が持ち上がっていました。福島第一原子力発電所の事故の問題です。その時すでに県外へと避難していた子どもたちもいました。新幹線のホームから、「どうすれば良いのかわからない」と、泣きながら電話をかけて来たお母さんもいました。「どこへも行きたくない」「だれともわかれたくない」と涙を浮かべた子もいました。子どもたちも、そして大人たちにとっても、真っ暗なトンネルの中を手探りで進むような苦しい時が始まっていました。
その3月18日金曜日の夕方に教室を再開しました。
そ の日、教室に来ることができたのは1人だけ。次の日には5人。放射能についての様々な話(事実なのか憶測なのかも判断できない話)が飛び交う中、まだまだ子どもたちは家から出られずにいましたが、教室の机の上には、何時来ても、何人来ても良いように、常に道具を準備して教室の明かりは灯されていました。
教室を再開してからの1ヵ月間に子どもたちはたくさんの画用紙を使いました。「使った」と言うよりも「使わざるを得なかった」と表現した方が良いくらいに、子どもたちは何枚も何枚も何十枚もの絵を描き続けました。
それらの絵は、まるで「子どもたちの叫び声」のようでした。
子どもたち自身があの時に気づいていたかどうかはわかりませんが、子どもたちは必要としていました。「吐き出さなければならないコトを吐き出す手段」を、必要としていたのだと思います。
彩色された作品は、震災からの1ヵ月間に描かれた『子どもたちが叫んだ言葉たち』です。
「絵」にはならない「絵」ばかりですが、その色や形は、あの時の子どもたちの気持ちをとても素直に表現していると僕は思います。
今 回の出品にあたり、あらためて作品の一枚一枚を見返していると、「真っすぐに画用紙に向かい筆を走らせ続けていたあの時の子どもたちの姿」が「まざまざ」 と脳裏に甦って来て涙が溢れ出し画面を滲ませて、 作品を「非現実的なモノたち」に変えてしまいました。 けれども全ては現実に起こり、そして現在も起こり続けている「現実的なモノたち」ばかりなのです。
あの日から三年、いまだに再会を果たせずにいる子どもたちがいます。
「でも……」と僕は思います。 でも、ふくしまに残った子どもたちにも、新しい土地に暮らす子どもたちにも、時間は平等に降り注ぎます。 子どもたちは同じように大きくなってゆきます。 そして、心も強くたくましくなってゆきます。
子どもたちの描く絵や将来の夢を見続けていて僕は、
「子どもたちは大丈夫です!」と叫びたくなります。
子どもたちが描く絵や夢は、
僕たち大人が「叫べない言葉」や「表せない心」を、
代弁してくれているのかもしれません。
子どもたちの作品が、
見て下さる方の心と響き合い解け合ったとき(それがポジティブな意味でもネガティブな意味であったとしても)きっとそこに何かが生まれ、その生まれた何かは解放されるのだと思います。
「かいがきょうしつ リベラ」の子どもたちの絵を観ていただけているコトに、
心から感謝します。 「アリガトウゴザイマシタ」
かいがきょうしつ リベラ 主宰
スズキ ヨシカズ
2014年3月11日
______________________________
「この文章を子どもたちの絵が囲むように展示したいのです」 、、と
リベラっ子たちの作品を担当してくれた
「国民みらい出版」の中嶋さんは言いました。
その言葉と
ともに、、
僕が、子どもたちの絵を
組み上げました。
そしてコチラが、、
展示の
完成形です。
一枚一枚の絵を並べて
観ながら、
描いた子の名前を確認していると、、
教室の光景と、
その光景の中にとけ込んだ
子どもたちの姿が、、
「くっきり」とした「色鮮やか」な「映像」として
よみがえってきて、
いちいち作業する手を
止めさせたのでした。
リベラっ子たちの展示が整い、
他の様々なジャンルの
作品展示も終了した頃、、(他の作品はヤマト運輸美術部門の方々の手により、作品展示のバランスや天井からの高さまで、メジャーを使用して数cm刻みでの完璧な展示が成されていました。プロの仕事はスゴいですね!)
午後2時15分、
すでに展示室の入り口は、、
賑わっておりました。
『復興の祈り展』〜東北のこども絵画展〜
開会式の準備も、、
(こちらも映像と音響のプロの方々によって手際良く準備がされておりました)
開会式の画像はありません。
なぜならば、、
僕は一番前に座っていたからです。
そして、
リベラの子どもたちと子どもたちが描いた作品について
お話しをさせていただきました。
展示出来なかった「始まりの世界」を描いた絵なども
開会式に出席されたみなさんには
観ていただきながら、、
話をしました。
ココだけの話、、
ちょっと泣きながら話をしました。 (てへへ)
展示と
会場の様子を、
ご覧下さい。
撮影出来なかった展示室もふくめ、
かなり広いギャラリーでの
大きな展覧会でした。
子どもたちの絵の
向かい側には、、
パネルの展示がされています。
ここには、「国民みらい出版」より刊行された
展覧会と同名の書籍、
『復興の祈り』に寄稿された
メッセージが展示されているのでした。
福島県郡山市出身の俳優、
西田敏行さんの慈愛と怒りに満ちた文章は、、
読んでいて心に痛みを感じ
大声で叫びたくなりました。
ここでは、僕の大好きなイラストレーター、
やなせたかしさん(残念ながら昨年の10月に他界されてしまいました
ご冥福をお祈りします)
からのメッセージを
ご紹介させていただきます。
とても短い、
シンプルな言葉たちなのに、、
響くのでしょうか?
ずっとずっと響き続けて
いるのでしょうか?
素敵な素敵な、
言葉たちでした。
会場でたくさんの方々とお話しをしました。
震災直後、
子どもたちのために
たくさんたくさんダンボール箱いっぱいのお菓子と、
その方のお母様が子どもたちのために手作りした
お地蔵様のお人形を送って下さった方とも、、
昨日の会場で初めてお会いしてお話しをするコトが出来ました。
阪神淡路大震災を経験された方ともお話しをしました。
先の世界大戦で、
広島の原子爆弾を体験された方とも
お話ししました。
「子どもたちの作品が明るい色で描かれていて安心しました」
みなさんにそうおっしゃって
いただきました。
「本当ですね」 (微笑)
話を聞かなければ、震災直後に描かれた絵だとは
思えないでしょうね?
子どもたちといっしょに同じ時間を過ごした
僕でさえ、展示した全景を観て
そう思いましたもの。
「展示出来て良かった」 あらためて
そう思いました。 (微笑)
もう一度あの時の子どもたちに(絵と言う触媒を通した子どもたちに)
出逢うコトは、、
正直言って「怖いコト」でもありました。
でも、
もう一度あの時の子どもたちに出逢えて、
良かったな、、と思いました。
僕の中で
きっちりと、震災から3年目の
3月11日を迎えるコトが出来た
と思いました。
こんなにも立派で素晴らしい会場に
リベラっ子たちの絵を
招いて下さった、
『国民みらい出版』代表の小林義隆様、
そしてスタッフの皆様、
そしてそして、リベラっ子たちを担当して下さった
中嶋さんに、、
心から
心からの
感謝の言葉を
贈らせて下さい。
心を込めて、、
「ありがとうございました」
。
(微笑)
『復興の祈り展』〜東北のこども絵画展〜
『東京芸術劇場』(東京都豊島区西池袋1−8−1 JR池袋駅西口)
2014年3月11日(火)〜16日(日)
午前10時〜午後6時(最終日:午後3時終了)
入場無料
どうぞよろしく
お願いいたします。
(微笑)
by yoshikazusuzuky
| 2014-03-13 00:02
| かいがきょうしつ リベラ
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