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スズキヨシカズ幻燈画室

suzuky.exblog.jp

満月ノ晩ノ蒼色幻燈会 ... 始マリ始マリ

つくりびと

毎月、美術館で無料配布されている
美術情報誌『つくりびと』(国民みらい出版)の
お知らせです。

2015年10月
第39号より
見開き1600字の
コラム連載を
担当させて
いただきます



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創作活動の視点からこどものみらいを考えるコラム アートガイド・ぷらす
 『3月11日、その日付けは僕と子どもたちにとって特別なモノになった』

未曾有の大災害と言われた東日本大震災発生から4年以上が経過したが、今でも「あの災害で人生が変わった」と思う人々は多い。福島県で子供たちに絵画、造形を教えている『かいがきょうしつリベラ』主宰のスズキヨシカズ氏もそんな一人だ。芸術というジャンルの特性のひとつに挙げられる『癒し』の効果。スズキ氏には子供たちが直面することになった大地震や、二次災害である原発事故の恐怖に対し、芸術はどのような役割を見せたのかという、特別なエピソードを語ってもらった。


僕は福島県白河市で絵画造形教室を主宰している。2011年3月11日の午後、前日もそうであったように僕は学校を終えてやって来る子どもたち一人一人の顔を思い浮かべながら教室の準備を行っていた。卓上に並べた画材たちが、突然鳴り響いた雷に驚いた小動物のように跳ね上がったのが 午後2時46分のコトだった。棚の上からはデッサン用の石膏像やモチーフが次々と落下し、凄まじい音を発して砕け、辺り一面に飛び散った。その瞬間に日常は消滅し、僕の前から子どもたちの姿も消えてしまった。未曾有の被害と犠牲者をだした東日本大震災発生の当日は、目にするモノ耳に聞くモノの全てが別世界で起こっている出来事のようにリアリティを失っていた。
固定電話、携帯電話共に回線が復旧し子どもたちとの連絡が取れたのは地震発生から一週間後のコトだった。僕は子どもたちの安否を確認し教室の再開を伝えた。子どもたちも保護者の方々も、そしてもちろん僕自身も絵など描いている場合ではないコトはわかっていた。けれども僕は思ったのだ。子どもたちにいま必要なのは、くり返し流されるテレビニュースの映像と音が充満した部屋ではなく、静寂の中に自分自身と向かい合い絵を描ける場所であると。そして、その場所を確保するのが「僕のやるべきコト」で「僕に出来るコト」でもあると。
教室を再開した初日に来ることができたのは1名だけだった。そして毎日少しずつだが人数は増え、見慣れた子どもたちの笑顔が教室に戻ってきた。しかし戻れなかった子どもたちもいた。原発事故の影響で県外へと避難せざるを得なかった子どもたちだ、悲しいコトにその子どもたちの何人かとはあの日から5年が経とうとしている今でもまだ会えないままだ。
教室を再開した当時、集まってくれた子どもたちは実にたくさんの絵を描いた。いつもなら一枚の絵に長い時間をかけて描いている子も、あまり絵に集中出来ない子もみんな、まるで何かを吐き出そうとしているかのように、何かを吐き出さなければならないかのように、次から次へと何枚も何枚も絵を描いた。具体的な形によって表現されたモノもあったが、ほとんどは抽象的な表現と色によって形成されていた。
子どもたちが「吐き出したモノ」は何だったのか?「恐怖」「不安」「怯え」言葉を並べれば切りがないだろうが、一言で言うならば「ストレス」だったのだと思う。とても特殊な状況下に閉じ込められた子どもたちの心は叫び声を上げていた。悲鳴ではなく叫び声だ。ストレスと聞いて皆さんはどんな色や形を想像するだろうか?「刺々しい形と奇抜な色?」「所在なく虚ろな形と陰鬱な色?」しかし子どもたちの絵はそのどちらでもなかった。形はのびのびとして自由だった。色は鮮やかで美しかった。「不思議だった」「何故こんな状況下でこの子たちはこんな絵が描けるのだろう?」そう思った。ここで僕が言う子どもたちとは福島県白河市とその周辺から僕の教室に通っていた子どもたちのコトだ。白河市でも震災で犠牲となった方々はあったが津波による被害を受けた地域の子どもたちとは震災により発生した状況に対する感じ方も受け取り方も違っていたコトは確かなので限定された地域の子どもたちの話として聞いていただきたい。子どもたちが吐き出したのはストレスであったかもしれないが、そこに「絶望」は無く「生命力」が満ち満ちていた。毎日繰り返し伝えられる『死』(崩壊した建物や消滅した自然も含めた意味での死)を目の当たりにしていても、子どもたちが感じていたのは『生』だったのではないだろうか。そしてそこから子どもたちは『命』を感じ取っていたのではないだろうかと僕は思った。僕が発信しているブログは当時、そんな子どもたちの絵と絵を描く子どもたちの姿で溢れていた。それから数年後に子どもたちの絵は国民みらい出版の方の目にとまり、2014年3月11日、東京芸術劇場で開催された『復興の祈り展』参加の機会を得てたくさんの方々に観ていただけるコトとなる。その頃には子どもたちの絵は『生きている絵』として海を渡り、更なる展開をみせていたのだ。生きている絵とは何だろう?そのお話は次の機会にさせていただくコトとしたい。     


スズキヨシカズ 



何処かの美術館で
見かけたら、
手に取ってみて
下さいね





(微笑)




お知らせを
もう一つ、、

NPO法人カルチャーネットワーク
発行の、しらかわ地域の文化情報紙
『 I CAN DO !!』
今月号(2015年10月号 vol . 162 )で
子どもたちと制作した壁画が紹介
されています。

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白河地区と周辺で
無料配布中です。

コチラも(もし)
見かけたら、、


どうぞよろしくお願いします。



(^〜^)
by yoshikazusuzuky | 2015-10-26 00:04 | 繋がる想い | Comments(0)