つくりびと(第45号)
水に満たされ
代掻き(しろかき)を終えた田んぼが
風を映して
いました。
(一年を通し様々な風の表情を感じさせてくれる
「田んぼ」ってスゴい!)
(微笑)
月曜日でした。
カメちゃんの
作品が、、
完成しました。
題名は?
『春色の到来』
「到来って言葉はふつう冬に使うでしょう?
でも僕は春に春色を到来させたいんだよ」(カメちゃんの弁)
(^〜^*
午後からは、、
個人レッスンへ。
そして夕方からはリベラに戻り
カズイ君の教室でした。
(考えてみたらカズイ君とも
ずっと一対一のレッスンだねい)
(^〜^)
一ケ月の時間が経ってしまいましたが「コラッセふくしま」(福島県福島市)にて開催された国民みらい出版主催『復興の祈り ふくしま2016』(『ふくしまから 〜生きている展覧会〜』(DES DE FUKUSHIMA - L'exposició viva)第7回巡回展 として参加)について書かせていただいた「つくりびと」第45号 コラムをご紹介させていただきたいのですが、、その前に(僕からの)お詫び。(「お詫び」って言い方も変ですがお詫びです) 編集者さんが書いてくださったコラム前書き、、「生きている展覧会に関わって下さった方々とリベラそして参加してくれた子どもたちを代表して」の僕からの感謝のメッセージに間違いないのですが、、「福島県を代表して」と言う件(くだり)にはなんとも申し訳ない気持ちになってしまうので、、僕のブログを読んで下さっている福島の皆さんアーティストの皆さん、どうかどうかご容赦下さい。もちろん僕も校正に参加していたのですが45号は〆切りがとてもタイトだったので(言いワケ)見落としてしまいました。(心から反省) 全国から展覧会に参加していただいたアーティストの皆さんには心から感謝しています。「ほんとうにほんとうにありがとうございました」(感謝)スズキヨシカズからの感謝の言葉です。
創作活動の視点からこどものみらいを考えるコラム
アートガイド・ぷらす
今回は巻頭コラムにて、三月十一~十三日に福島県福島市で行なわれました弊社主催イベント『復興の祈り ふくしま二〇一六』の報告をさせて頂きます。東日本大震災から五年という月日が流れましたが、被災地ではいまだ日常を取り戻せずにいる人々も多い現状です。芸術の力で少しでもそういった人達に応援を、という気持ちで全国から立ち上がって頂いた出展者の皆様に支えられて無事開催することができました。本展に深く関わっていただいた、地元福島県で絵画教室リベラを主宰するスズキヨシカズさんより、福島を代表してすべての芸術家たちへの感謝のメッセージです。
『 復興の祈り・ふくしま二〇一六』~ 新たなる始まりを記憶に刻む~
何も無い空間が「何か(ナニカ)」によって満たされ、さらに「時間(トキ)」を伴うコトで構築されてゆくその姿が好きである。構築された空間にはやがて敬意をもって「名前(タイトル)」が冠される。名前を得た空間は、確固とした意思のあるモノとしてそこを訪れた人々の記憶の中に固定されるのだ。僕にとっては『展覧会(テンランカイ)』がそれである。個として作品展を開く場合でもグループ展に参加する場合でも、或は指導者の立場から子どもたちの作品を紹介する場合でも、その一連のムーブメントに携われるコトに喜びを感じるのだ。二〇一六年三月十三日、一つの展覧会が最終日を迎え閉会した。東日本大震災復興応援アート展『復興の祈り ふくしま二〇一六』と名前がつけられた展覧会がそれである。名前に「ふくしま二〇一六」とある通り、福島県福島市の複合文化施設「コラッセふくしま」(施設名称の「こらっせ」とは地元の言葉で「どうぞこちらにお出でください」と言う意味がある)で開催されたこの展覧会は、震災発生からきっかり五年目となる三月十一日午後二時四十六分の黙祷をもって開幕した。展覧会には全国の美術家から提供された約一五〇点の作品が展示された。絵画・書道・彫刻・工芸・写真・現代詩の作品群は個々の表現方法や主題の切り取り方に違いはあってもその支持体は慈愛の心と優しさに満たされていたし、 東北ゆかりの著名人による応援メッセージの文脈からも同じ温かなモノが溢れ出すのが感じられてその前に立つ僕の心をいっぱいにした。 圧巻だったのは俳句・短歌・川柳の詩歌と地元会津地方の伝統工芸品「会津漆器」とのコラボレーション作品だ。朱塗りの盆に描かれた歌と蒔絵による表現は、文字が持つ聴覚的な無限の可能性と視覚的職人芸術の融合によって、いつの日にか(願わくば近い未来に)その日常を取り戻すであろうこれからの福島の姿を可視化させてくれた気がして目頭が熱くなった。地元福島市の二つの幼稚園からの参加もあった。震災のあった年に生まれた今年五歳になる園児たちの明るい色彩が鮮やかに輝く図画作品の画面からは子どもたちの笑顔と歓声が会場内に流れ出しているかの様だった。子どもたちの作品が持つ無邪気さはあらゆるモノに浸透し、会場内を子どもたち色に染め上げていた。「それを大人たちは癒しと呼んでいるのかもしれない」その時僕はそう思った。僕が主宰をつとめる福島県白河市の絵画造形教室「かいがきょうしつリベラ」の子どもたちは、二年前の同月同日「東京芸術劇場」(東京都豊島区池袋)にて開催された第一回目の『復興の祈り』総合美術展覧会にも参加させていただいていた。あの時は震災発生の一週間後から子どもたちが「何かを吐き出すかのごとく」止めどなく描き始めた作品群を展示したのだったが、今回はそのさらに一年後の二〇一二年から始まったスペイン・カタルーニャ地方の子どもたちとの交流展から生まれたコラボレーション作品による展示となった。リベラの子どもたちが十cm × 十八cm ほどの小さな画用紙に描いた百枚足らずの絵は、バルセロナ市を始めとするカタルーニャ地方の五つの町を巡回しそれぞれの町の子どもたちが描いた絵と組み合わされて展示を続け昨年夏に日本へと帰国。第一回目の帰国展(第六回目の巡回展)として開催された石川県金沢市での展覧会と金沢の子どもたちが参加したワークショップを終えた時には、全長一〇〇mを超える大作へとその姿形(スガタカタチ)を変えていたのである。この展覧会には『ふくしまから ~生きている展覧会~』(DES DE FUKUSHIMA - L'exposició viva)と名前が付いていた。その名前の通り、子どもたちが絵に吹き込んだ「命(いのち)」は、そのエネルギーを目一杯つかって成長し続けて一〇〇mを超える作品にまで成ったのだ。 数えれば第七回目の巡回展となる『復興の祈り ふくしま二〇一六』への参加ではその作品の全貌をお見せするコトは出来なかったのだが、それでも白い壁面が少しずつ少しずつ言葉も国籍も人種さえも超越し交じりあった子どもたちの絵(交じりあったのは子どもたち自身かもしれない)によって埋め尽くされてゆく光景は、十分な衝撃をもって「新たなる始まり」を僕に予感させた。 三日間の展覧会を終えて壁面はまた白くもとへと戻されたのだがそれは終わりを意味するのではないのだ。 日本とスペインの子どもたちが繋いだ「絆(きずな)」は「始まりの地」に辿り着いて終わりを迎えるのではなくこの場所から再出発するのだ。「何処へ?(ドコヘ?)」もちろん本当の始まりの場所となる、子どもたちと福島の未来に向かってである。『復興の祈り』と言う名前を冠された広場に集った人々と、その広場を満たした作品群より発信されたたくさんの「祈り」は、新たな絆として綴りあわされ、福島と福島の人々が求める「あたり前の日常」という未来へと導いてくれるだろう。そしてそこでふくしまの子どもたちを育んでくれるコトだろう。
。
代掻き(しろかき)を終えた田んぼが
風を映して
いました。
「田んぼ」ってスゴい!)
(微笑)
月曜日でした。
カメちゃんの
作品が、、
完成しました。
題名は?
『春色の到来』
「到来って言葉はふつう冬に使うでしょう?
でも僕は春に春色を到来させたいんだよ」(カメちゃんの弁)
(^〜^*
午後からは、、
個人レッスンへ。
そして夕方からはリベラに戻り
カズイ君の教室でした。
(考えてみたらカズイ君とも
ずっと一対一のレッスンだねい)
(^〜^)
一ケ月の時間が経ってしまいましたが「コラッセふくしま」(福島県福島市)にて開催された国民みらい出版主催『復興の祈り ふくしま2016』(『ふくしまから 〜生きている展覧会〜』(DES DE FUKUSHIMA - L'exposició viva)第7回巡回展 として参加)について書かせていただいた「つくりびと」第45号 コラムをご紹介させていただきたいのですが、、その前に(僕からの)お詫び。(「お詫び」って言い方も変ですがお詫びです) 編集者さんが書いてくださったコラム前書き、、「生きている展覧会に関わって下さった方々とリベラそして参加してくれた子どもたちを代表して」の僕からの感謝のメッセージに間違いないのですが、、「福島県を代表して」と言う件(くだり)にはなんとも申し訳ない気持ちになってしまうので、、僕のブログを読んで下さっている福島の皆さんアーティストの皆さん、どうかどうかご容赦下さい。もちろん僕も校正に参加していたのですが45号は〆切りがとてもタイトだったので(言いワケ)見落としてしまいました。(心から反省) 全国から展覧会に参加していただいたアーティストの皆さんには心から感謝しています。「ほんとうにほんとうにありがとうございました」(感謝)スズキヨシカズからの感謝の言葉です。
創作活動の視点からこどものみらいを考えるコラム
アートガイド・ぷらす
今回は巻頭コラムにて、三月十一~十三日に福島県福島市で行なわれました弊社主催イベント『復興の祈り ふくしま二〇一六』の報告をさせて頂きます。東日本大震災から五年という月日が流れましたが、被災地ではいまだ日常を取り戻せずにいる人々も多い現状です。芸術の力で少しでもそういった人達に応援を、という気持ちで全国から立ち上がって頂いた出展者の皆様に支えられて無事開催することができました。本展に深く関わっていただいた、地元福島県で絵画教室リベラを主宰するスズキヨシカズさんより、福島を代表してすべての芸術家たちへの感謝のメッセージです。
『 復興の祈り・ふくしま二〇一六』~ 新たなる始まりを記憶に刻む~
何も無い空間が「何か(ナニカ)」によって満たされ、さらに「時間(トキ)」を伴うコトで構築されてゆくその姿が好きである。構築された空間にはやがて敬意をもって「名前(タイトル)」が冠される。名前を得た空間は、確固とした意思のあるモノとしてそこを訪れた人々の記憶の中に固定されるのだ。僕にとっては『展覧会(テンランカイ)』がそれである。個として作品展を開く場合でもグループ展に参加する場合でも、或は指導者の立場から子どもたちの作品を紹介する場合でも、その一連のムーブメントに携われるコトに喜びを感じるのだ。二〇一六年三月十三日、一つの展覧会が最終日を迎え閉会した。東日本大震災復興応援アート展『復興の祈り ふくしま二〇一六』と名前がつけられた展覧会がそれである。名前に「ふくしま二〇一六」とある通り、福島県福島市の複合文化施設「コラッセふくしま」(施設名称の「こらっせ」とは地元の言葉で「どうぞこちらにお出でください」と言う意味がある)で開催されたこの展覧会は、震災発生からきっかり五年目となる三月十一日午後二時四十六分の黙祷をもって開幕した。展覧会には全国の美術家から提供された約一五〇点の作品が展示された。絵画・書道・彫刻・工芸・写真・現代詩の作品群は個々の表現方法や主題の切り取り方に違いはあってもその支持体は慈愛の心と優しさに満たされていたし、 東北ゆかりの著名人による応援メッセージの文脈からも同じ温かなモノが溢れ出すのが感じられてその前に立つ僕の心をいっぱいにした。 圧巻だったのは俳句・短歌・川柳の詩歌と地元会津地方の伝統工芸品「会津漆器」とのコラボレーション作品だ。朱塗りの盆に描かれた歌と蒔絵による表現は、文字が持つ聴覚的な無限の可能性と視覚的職人芸術の融合によって、いつの日にか(願わくば近い未来に)その日常を取り戻すであろうこれからの福島の姿を可視化させてくれた気がして目頭が熱くなった。地元福島市の二つの幼稚園からの参加もあった。震災のあった年に生まれた今年五歳になる園児たちの明るい色彩が鮮やかに輝く図画作品の画面からは子どもたちの笑顔と歓声が会場内に流れ出しているかの様だった。子どもたちの作品が持つ無邪気さはあらゆるモノに浸透し、会場内を子どもたち色に染め上げていた。「それを大人たちは癒しと呼んでいるのかもしれない」その時僕はそう思った。僕が主宰をつとめる福島県白河市の絵画造形教室「かいがきょうしつリベラ」の子どもたちは、二年前の同月同日「東京芸術劇場」(東京都豊島区池袋)にて開催された第一回目の『復興の祈り』総合美術展覧会にも参加させていただいていた。あの時は震災発生の一週間後から子どもたちが「何かを吐き出すかのごとく」止めどなく描き始めた作品群を展示したのだったが、今回はそのさらに一年後の二〇一二年から始まったスペイン・カタルーニャ地方の子どもたちとの交流展から生まれたコラボレーション作品による展示となった。リベラの子どもたちが十cm × 十八cm ほどの小さな画用紙に描いた百枚足らずの絵は、バルセロナ市を始めとするカタルーニャ地方の五つの町を巡回しそれぞれの町の子どもたちが描いた絵と組み合わされて展示を続け昨年夏に日本へと帰国。第一回目の帰国展(第六回目の巡回展)として開催された石川県金沢市での展覧会と金沢の子どもたちが参加したワークショップを終えた時には、全長一〇〇mを超える大作へとその姿形(スガタカタチ)を変えていたのである。この展覧会には『ふくしまから ~生きている展覧会~』(DES DE FUKUSHIMA - L'exposició viva)と名前が付いていた。その名前の通り、子どもたちが絵に吹き込んだ「命(いのち)」は、そのエネルギーを目一杯つかって成長し続けて一〇〇mを超える作品にまで成ったのだ。 数えれば第七回目の巡回展となる『復興の祈り ふくしま二〇一六』への参加ではその作品の全貌をお見せするコトは出来なかったのだが、それでも白い壁面が少しずつ少しずつ言葉も国籍も人種さえも超越し交じりあった子どもたちの絵(交じりあったのは子どもたち自身かもしれない)によって埋め尽くされてゆく光景は、十分な衝撃をもって「新たなる始まり」を僕に予感させた。 三日間の展覧会を終えて壁面はまた白くもとへと戻されたのだがそれは終わりを意味するのではないのだ。 日本とスペインの子どもたちが繋いだ「絆(きずな)」は「始まりの地」に辿り着いて終わりを迎えるのではなくこの場所から再出発するのだ。「何処へ?(ドコヘ?)」もちろん本当の始まりの場所となる、子どもたちと福島の未来に向かってである。『復興の祈り』と言う名前を冠された広場に集った人々と、その広場を満たした作品群より発信されたたくさんの「祈り」は、新たな絆として綴りあわされ、福島と福島の人々が求める「あたり前の日常」という未来へと導いてくれるだろう。そしてそこでふくしまの子どもたちを育んでくれるコトだろう。
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by yoshikazusuzuky
| 2016-04-26 00:02
| 繋がる想い
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