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スズキヨシカズ幻燈画室

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満月ノ晩ノ蒼色幻燈会 ... 始マリ始マリ

つくりびと(第48号)ふうのコト

『つくりびと』第48号が発刊になりましたので
ご紹介させていただきます。


今回の号では子猫の風(ふう)と子どもたちのコトを書きました。



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創作活動の視点からこどものみらいを考えるコラム アートガイド・ぷらす

『小さな手にはぐくまれたいのち』~子どもたちの小さな手のひらの中にあたたかないのちが在った~  

僕は福島県白河市で絵画教室を主宰している。現在は、六歳から八十七歳まで幅広い年齢層の生徒さんが(小さな教室だがまるで何世代もの家族が暮らす大きな家のように)毎日絵を描きにやって来る。
教室には(こんな風に話を繋げるのは生徒さんに失礼なのだが)周辺に暮らす様々な種類の野良猫たちもやって来る。窓の外を猫が通ると子どもたちは外に飛び出してゆく。もちろん猫は驚いて逃げて行ってしまう。五月の初めにそんな中の一匹が教室で出産をした。どこか遠くに吹く風の音のような小さな鳴き声をたどってみると、画架(イーゼル)や画材が雑多に置かれたその奥で鳴いている二匹の子猫をみつけた。おそらく母猫であったのだろう、灰色のトラ猫がその場所を「うろうろ」しているのを見かけてはいたが、ここ数日は「ぱたり」と姿を見せなくなっていた。後日動物病院に子猫たちを連れて行った時に知ったのだが野良猫は子どもを産むと一度場所を移動して子育てをする。虚弱で成長が望めない子は産んだ場所に残してゆくそうで、たぶんこの二匹は残された子たちだろうとのコトだった。(自然界で生き残る為の試練は生まれた時からすでに始まっているのだ)
二匹の子猫は生後一週間から十日経っていて目も開いていたがじゅうぶんな栄養を摂取出来ておらず痩せていて、小さくて、そして冷たかった。動物病院で出来るかぎりの処置をしてもらったが教室に戻ってすぐに一匹は逝ってしまった。くるまれたタオルから顔を上げてまだ見えない目で何かを見つめ一声だけ小さく鳴いてから逝ってしまった。残された一匹を育てるコトにした。育てる=助けるという行為は人間のエゴイズムなのだろうか?それについて賛否両論はあるだろうが目の前で消えかかる命をただ何もせずに見過ごすコトが出来なかっただけなのだ。三、四時間おきの授乳による寝不足は自分の子供たちを育児して以来だった。短い間隔で世話をする為には当然教室にも子猫を連れて行かなければならない。教室では子どもたちが授乳を手伝ってくれた。生後間もない未だ儚げな瞳に見つめられると、何か特別な感情が子どもたちの中に芽生えるのだろうか?おそるおそるぎこちない手つきではあったが包み込むように優しく子猫を抱きしめる子どもたちの誰もが、慈しみの気持ちにあふれた穏やかな微笑みを浮かべていた。
教室を満たしてゆくその「特別ではないけれども特別な微笑み」(僕は子どもたちの微笑みをそんな風に感じた)は、僕に『ハルヒカリ』の光景を思い起こさせた。ハルヒカリとは春の光と言う意味で、毎年四月から五月の教室で取り組むテーマになっている。この作品はいわゆる紙に描かれた絵ではない。画用紙に描いた下絵の上に、少し厚みのある透明なビニールシートを重ね合わせて黒い油性のマジックペンで写し取る。その下描きを顔料性のカラーマーカーで着色して仕上げるのだ。つまりは「ステンドグラス」の簡易版の様なモノで、完成した作品は窓ガラスなどに貼付けて、絵を透過した光が表す色とりどりの「ハルヒカリ」を楽しむのだ。普段子どもたちが使用している水彩絵具は混色によって無限に近い色相表現が得られるが、混ぜ合わせるコトの出来ない顔料マーカーの色数は限られている。それでも子どもたちはその限られた色数の中で組み合わせなどに工夫をこらし、春の光を自分らしく表現して見せてくれるのだ。その季節の柔らかな陽光により室内に描き出されるハルヒカリの色彩は、子どもたちの小さな手に優しく包み込まれた子猫の命の様に温かい。
子どもたちは自分が描きたい世界をただ自由に表現しているだけなのだろうが、僕たちがその光の中に命の存在を感じ取るコトが出来るのは、子どもたちもまた子猫のように脆く繊細ではあるが温かで、生きる力に溢れた命の持ち主に他ならないからだと僕は思う。どちらも純粋な存在なのだ。子どもたちと子猫の出会いは必然と呼んでも良い程に、特別な特別な偶然だったと思う。子どもたちと子猫は温かく優しいモノでお互いの心を満たし合うコトが出来たのだから。
 子猫は教室に来て十九日目に新しい家族のもとに迎え入れられた。新しい家族は子猫に「風(ふう)」と言う素敵な名前をくれた。「ふう」の新しい家族は教室から三百km以上離れた遠くの町に住んでいる。「行ってらっしゃい!」子どもたちに見送られ「ふう」が教室を旅立ってしまうと、心の中の「ふう」の居た場所にぽっかりとまんまるな穴が空いてしまったかのようだった。家に帰って大泣きに泣きじゃくった子もいたそうだ。子どもたちは「ふう」から大切なコトを教わった。「いのちはやわらかくてあたたかくてはかなくてつよい(命は柔らかくて温かくて儚くて強い)」というコト。それは生きとし生けるものにとって何よりも重要で大切な「秘密」であると僕は思う。「ふう」と過ごした十九日間は、子どもたちにとって(もちろん僕にとっても)命について考える特別な時間になった。




福島県内では郡山市立美術館と
諸橋近代美術館での配布です。



もし何処かで
お会い出来ましたら、、




(微笑)





きょうは、、
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つかれました。



みなさんも、、
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おつかれさまでした。




(微笑)








by yoshikazusuzuky | 2016-07-03 00:05 | 繋がる想い | Comments(0)