ブログトップ

スズキヨシカズ幻燈画室

suzuky.exblog.jp

満月ノ晩ノ蒼色幻燈会 ... 始マリ始マリ

つくりびと(第49号)

コラムを担当させていただいている
国民みらい出版刊の
美術フリーマガジン
『つくりびと』(第49号)
が発行になりましたので
ご紹介させていただきます。



今回はリベラに通う
中学生女子が書いた文章と描いた絵から
「絵を描く理由」について
書かせていただきました。




a0199297_14283592.jpg




a0199297_1429079.jpg


訂正:タイトルになっている「絵に出逢い、このに〜」を
   「絵に出逢い、この世界に生まれ直す子どもたち」と訂正願います。




創作活動の視点からこどものみらいを考えるコラム アートガイド・ぷらす

絵に出会い、この世界に生まれ直すこどもたち
~私は皆よりもきっと素敵な色なんじゃないかな~

僕は福島県白河市で絵画教室を主宰している。教室には様々な年代の生徒さんが様々な理由で絵を描きに通って来る。絵を描く理由とは何だろうか。幼稚園の頃から高校三年生の春まで、僕は今で言う不登校の子どもだった。なぜ「高校三年生の春まで」なのかと言うと、その時に僕はある絵描きに出会い絵を描くコトに出逢ったのだ。こんなに素晴らしい自己表現の方法があったコトに気づいたその時から僕は変わった。変わったと言う言葉では足りない程の衝撃をもって僕は絵の中に取り込まれその虜となった。
そんな僕を絵は、もう一度この世界に産み落としてくれた。僕は絵を描くコトで生まれ直し、この世界と繋がったのだ。僕はこの命を絵によって救われたのだと思っている。本業が疎かになってもこの絵画教室継続にこだわり絵画指導で地域の幼稚園小学校中学校に通い続けているのも僕なりの絵に対する恩返しであり、絵に出逢うコトを無意識に待ちわびている子どもたちを探索する方法なのだ。これが僕の絵を描く理由である。今回のコラムでは、そんな探索の途中で出会った或る一人の少女が『自分自身』を題材として描いた絵と、同じテーマで綴った文章を紹介したい。出会ったとき十歳だった彼女は中学生となり、十四歳になった。「私がずっと引きずっていること、それは自分が自分じゃないってこと」こんな書き出しで彼女の二千八百字に及ぶ文章は始まる。(以下はそれより抜粋した一部分である)

私がずっと引きずっていること、それは自分が自分じゃないってこと。それは自分が人に気を配りすぎて自分を出しきっていない。これが私。でも私ではない。私は周りの色に染まりやすい。染まりたくなくても染まらなければ不安になる。「染まりたくない」って気持ちがあるのに無理やり染まろうとするのは本当の自分ではないはず。だから、そういうときには私の中のもう一人の私が出てきて勝手に自分を演じている。私には「心」ってものがあるのだろうか。自分がもう一人の自分を演じて周りに合わせるだなんて、私、大丈夫なのかな。で、思った。もう一人の私には、この私の中から出ていってもらおう。 『もう一人の私への手紙』「私が周りの色に染まっていないとき、不安になったとき、出てきてくれてありがとう。私はあなたのおかげでここまでやってきた。でも私がもっと立派な私になるために、あなたは必要ないと思う。私は、一人の人間です。カメレオンじゃありません。私は私でいいのです。他の色と同じ色じゃなくても。私は皆よりもきっとすてきな色なんじゃないかな。決して、あなたに今すぐ出ていってほしいなんて言わないけど、この私が一人でやっていける力がついたとき、あなたは私の中から姿を消して下さい。私は自分の力で生きていきます。もしもあなたが私の中から消えたら、きっと私は気づくと思います。それほどあなたに頼っていました。もしもあなたが私の中から消えたら、私の全てが再スタートするのです。今、こういうふうに文を書いていますが、それは本当の私ですか。それとも、もう一人の私、あなたなんでしょうか。あやふやですね。今は。でも、あなたも私のために考えてみて下さい。お願いします。」 学校で周りに合わせているせいか、私は私が好きなものと一対一でいたい。この気持ち、わかる人いるかなあ。父に言われたことがある。「一日の中で一番楽しいって感じられることは?」と。私はこのとき、答えなかった。そして自分と会話した。私は気づいた。私には、楽しいと感じられるときが一日に一回おとずれる可能性が低い。楽しくても一生懸命すぎて楽しいことが楽しいことだと思えなくなっている。それは、それは、私の中にもう一人の私がいるからだ。人は、日々成長している。私も私の心も成長期なのかな。 立派な自分を目差して。自分で自分を変えていくんだ。これからも、また。

「自分で自分を変えていく」そう彼女は文章を結んだ。

一見難解な絵と素直過ぎる文章も、彼女の中では(「概念としての肉体」と「観念としての魂」が「肉体と呼ばれる入れ物」に一緒に収まっているのと同じくらい自然な成り立ちのもとに)しっかりと繋がっている。十四歳の彼女にとっての絵を描く理由、それは彼女が言うところの「もう一人の私」たる自分自身との対話に他ならないのだろう。「皆が」とか、「誰でも」とか、「普通は」という一般論より発せられる言葉たちは絵を描く理由には不要だ。何故ならば、絵を描く理由とは必ずや自分自身の中に存在し、自分自身により発見されるコトを待ち続けているからだ。絵を描くと言う行為が必ずしも何かの問題を解決してくれるワケではない。しかし、絵を描くコトに出会えた迷い子の魂が、探し続けていた自分自身と共に安らげる場所へと導かれ辿り着けるコトもまた、一つの事実であると僕は思う。

絵に出逢うコトを無意識に待ちわびている子どもたちが一人でも多くそれに出逢えるコトを願っている。



スズキヨシカズ 








明日から夏休み教室は
後半戦です。

a0199297_224999.jpg

あれ?
パトさん左上の犬歯の先が折れてんじゃないの??
ナニを齧ったのでしょうか? (あいたたた)



a0199297_2244380.jpg


f^^:





by yoshikazusuzuky | 2016-08-09 00:00 | 記憶の欠片 | Comments(0)