MIA DOI TODD
昨年一年間は
ずっと、、
というタイトルのアルバムを
聴いていたのですが
今年は
、、
カメちゃんです。
もちろん楽曲も素晴らしいのですが
その楽曲をさらに引き立たせる素敵な声に
僕は惹かれて好きになりました。
『MIA DOI TODD(ミア ドイ トッド)』
を好きになってくれて
「ありがとう」
カメちゃん。 (微笑)
僕の
手のひらに
、、
カメちゃんの青いバラの絵にも、、
が影を描き出して
います
。
『MIA DOI TODD』の歌声と
『ヒカリノマド』の色彩に包み込まれるように
絵を描いていた
、、
でした
。
きょうの午後は、
「コットマンサークル」
今年始めの教室でした。(2名のお休みはありましたが)いつも通りの顔ぶれに出会い
一生懸命に絵を描く姿と笑顔にあふれる
楽しい二時間を過ごすコトが出来ました。いつまでもこの時間をごいっしょ出来ますように。
(微笑)
カズイ君は昨年末からの数週間
中学校の時に自分が引き起こしてしまった問題を思い出しては
後悔しきりです。 「もし」 全ての話の頭に
「もし」という言葉が付けられます。 起こってしまったコトは変えられない。
残念だけれど答えを携えもう一度やり直すコトは出来ない。 うつむかず、その事実を背負い、
ただただ前を見て変わり続けてゆくより(自分を変えてゆくより)仕方ない。
起こってしまった全てを「チャンス」と捉えるしかない。
「言うは易し」と反論したいよねカズイ君?
でもそれは仕方のないコトだしヨシさんはコレ以外の(以上の)言葉を持たない。
(微笑)
「誰か代わりの絵の先生を紹介して下さい」そんな電話がかかってくる。
思い出話しが挟み込まれる余地がない。 一度お休みさせていただいたら次回に僕の席は無く
「絵画指導」から「書道指導」に変わってしまった学校もあったなあ、と思い出す。
絵画を指導される先生なり美術家は幾らでもいるのだろうが僕と言う存在は唯一無二なる存在だ。
「スズキヨシカズでなければならない」
自分にとっても誰かにとっても、そうで在れるコトを目指し
歩んでゆこうと思った。
「わたくしという現象は、、」
勝手に知らない方の頁を引用して良いモノなのかどうなのかわかりませんが
素敵な解釈をされている方(猫哲学者さんとおっしゃるらしい)なので
勝手にゴメンナサイ、、
猫哲学者さんの言葉を
ぜひ読んでみて下さい
。
「賢治さんのようには透き通れないないな」と
『春と修羅』の序文を読むといつでもそう思う僕です。
愚痴っぽくならない内に
今夜はここまで
です
。
@
by yoshikazusuzuky
| 2017-01-17 00:02
| かいがきょうしつ リベラ
|
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