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スズキヨシカズ幻燈画室

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満月ノ晩ノ蒼色幻燈会 ... 始マリ始マリ

カテゴリ:スズキヨシカズ的アート( 272 )

『宮沢賢治』つながりでお話が続きます。

今日は僕が10代の頃に描いた二枚の絵を紹介させて下さい。 『10代の頃の絵』とは言っても技術面の未熟さ以外はなんら恥ずかしいと言う感情を感じるコトもなく「ぽんぽん」っと載せてしまうのでした。(笑) こうして作品の写真を見詰めていると、10代の僕も、今の僕も、中身は全く変わっていないのだな、、と、再確認させてくれます。(「良い意味で」、、と思いたい)(苦笑?)
どちらの絵も、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を主題にしています。

そしてどちらも写真でしか見ることの出来ない絵です。

この絵はバルセロナ市に住む或る陶芸家のご夫婦が購入して下さいました。 僕がカタロニア州文化局のプロジェクトに初めて参加した年だから、、25年も前の話しです。 二人の名前はカルロスとエステルと言いました。 二人は僕の絵をとてもとても好きになってくれて大切に大切にしてくれていました。 ところが或る日、二人の住むピソ(アパート)が何の予兆もなく突然に崩壊してしまったのです。 比喩的な意味での『崩壊』ではなく、現実に5階建てのピソが崩壊し瓦礫の山に変わってしまったのです。 本当に、或る日、突然に、、です。  建物の老朽化(古い地区は築100年以上の建物ばかりですからね、、、ちなみに僕がバルセロナで住んでいたピソは築130年でした)と、その年はやけに雨が多くて湿気も悪い要因の一つになってしまったのですね。
不幸中の幸い、、、カルロスとエステルは外出中でケガなどはなかったのですが、二人が大切にしていた家財道具や作品の一切合切が瓦礫の中に消えてしまったのでした。 もちろん僕の絵も消えてしまったのでした。

「自分の絵とのこんな別れ方もあるんだ、、」

悲しみも驚きも、ものすごくものすぎく大きかったけれど、、、とても静かな気持ちでそうも思ったのでした。


この二枚の絵には、もう触れるコトができません。


こうして写真の中に感じるコトができるだけです。


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      スズキヨシカズ絵画作品 『星祭りの夜に』〜ケンタウル祭の夜〜(F60号)


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      スズキヨシカズ絵画作品 『北十字』〜北十字とプリオシン海岸〜(F60号)

 





 
by yoshikazusuzuky | 2011-02-21 23:11 | スズキヨシカズ的アート | Comments(4)
『花の絵』が描けない。

いちど、何処だったかの個展会場で、植物をこよなく愛しているのであろう方に「これは花ではない!」(なぜ僕は怒られたんだろう?)との指摘を受けた事がありました。

「そうなのです。」
僕は『花の絵』が描けないのです。

でもスズキヨシカズの日本で制作した作品を見てくれている方は「花、描いてるじゃない?」と言いますよね。

「そうなのです。」
僕は日本に帰国してからの展覧会に、ものすごくたくさんの『花の絵』を描いて出品してきているのです。

矛盾してますか?
「そうですよね。」
矛盾していますよね。

でも、矛盾しているんだけど、僕の中では整理が付いている問題なのです。(解決はしていない問題ですが、、整理はついています。)

僕が描いているのは『花』ではないのです。

僕は『花の絵』を描くことは出来ないのです。

花は絵に描けないですよ。
実物の存在自体があんなに美しいのですよ? 「描けませんね。」 僕には描けません。
同じ意味で僕は『風景画』も描いた事がないし、描けません。
存在自体が美しいモノを絵に写すというのは、とてもとても難しい事です。 突き詰めれば『花』や『風景』だけにしか当てはまらない事ではないのですが『花』と『風景』は特別に難しいと、僕は感じています。

僕は頭に残っている『花』のイメージをキャンバスなり画用紙なりの支持体の中(内)に発見して掘り起こすという作業でしか、その花を表現できないのです。

実際に生花を目の前に置いて写生する事もしません。

無作為に色づけされた支持体の中に、僕の頭の中に在る僕が知っている花のイメージが現れたら、支持体の中からそのイメージがカタチとなり可視領域に浮上してくるまで掘り起こし続けてゆくのです。

あくまで、僕の記憶の中に存在している花のフォルムだけを探し続けます。

だから、僕の描く『花』は『花のようなモノ』と言う事になりますね。

花びらの枚数だとか葉の形だとか成長痕(鉱物じゃないってば!)のパターンだとかが、、「ちがうじゃないか?!」と言われても、、それは仕方がない事なのです。
「僕にはそう見える」と言うだけの話なのです。

では、僕が考える『たんぽぽ』と『リンドウ』の花の絵をどうぞご覧下さい。

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            スズキヨシカズ絵画作品 『立ち姿 〜蒲公英〜 』

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            スズキヨシカズ絵画作品 『立ち姿 〜竜胆〜 』
by yoshikazusuzuky | 2011-02-07 23:11 | スズキヨシカズ的アート | Comments(4)
ホウ酸塩鉱物に属する『ウレキサイト 〜ulexite〜』と言う鉱物がある。

和名は曹灰硼石(そうかいほうせき)。 『テレビ石』と言う呼び名だと少しだけ親しみがあるかもしれない。 博物館などのお土産物屋さん(この『など』はいろんな場所の多種多様のお土産物屋さんをふくみますね)で磨きをかけて着色された『テレビ石』をよく見かける。(見かけないですか?)

ウレキサイトは透明繊維状結晶を束ねた構造になっていて、その繊維状結晶を断ち切る様にスライスしたウレキサイトを平面状の文字や画像の上にのせると、文字や画像をそのまま上面へと伝達する。 これがテレビ石と言われる所以で、、つまりは光ファイバーと同じ原理だ。(光ファイバーの方がウレキサイトと同じ原理ですね)

子どもの頃にこの石に出会うと、けっこう夢中になるんだよね。
面白くていろいろなモノの上にウレキサイトをのせてみたくなる。


カラー写真を自分でプリント出来るようになって(今までは暗室に籠ってのモノクロプリントしか出来なかったからね)ちょっと試してみたいコトがあった。
上手く文章では説明出来ないのだけれど、撮影とプリントの過程でウレキサイトを使用する。

透明な繊維状結晶と言っても、やはりそれは自然の中に誕生したモノなので全ての石に素敵な個体差が在る。 それぞれの石がそれぞれに面白い表情を見せてくれるのではないだろうか、、、とね。

そして実験的に作ってみたのがこれらの写真、、。

1、2枚目は天然ウレキサイトを使用。 3枚目は人工結晶のウレキサイトを使ってみました。

僕の中の誰かが、、「これは面白そうだぞ面白そうだぞ」、、とニヤニヤしながら言っています。


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by yoshikazusuzuky | 2011-02-02 23:11 | スズキヨシカズ的アート | Comments(0)
深く深く乳白色の霧が立ちこめる風景に目を凝らしたなら何が見えるのだろう?

霧を構成する乳白色に細かな細かな水滴の水晶体は、いつしか僕の目に同化して、僕に様々な映像を伝えてくる。 それが霧の中に在るモノなのか、あるいは霧が見せる幻影なのか、僕に識別する事は困難だ。


ずっとずっと前だけれど、夜の始まる時刻に僕は山道に車を走らせていて、濃い霧の中、道を見失った事がある。

「怖かったな、、」

「ほんとうに怖かった。」 すべてが真っ白に閉ざされた世界なんだ。

車をゆっくりと前進させると濃い霧に阻まれてほとんど目の前数メートルしか照らせないヘッドライトの輪の中で、まさに『乳白色に細かな細かな水滴たち』が渦を描きながら、、まるでその一粒一粒が意思を持った『蟲』であるかのように蠢いている様は、異次元への入り口の様にも見えて、僕は何度もためらってはブレーキを踏んだよ。
「これ以上、動いてはいけない。」 そう思って車をその場に(何処に居るのかもわからないけど)停めても、車を取り囲んでいる白い霧の存在は重たかった。 怖くてヘッドライトを消す事なんて出来なかったもの、、。

時間の感覚まで失いかけていた僕には永い永い時間に感じたけれど、2、30分間の出来事だったのだろうと思う。 僕は二つの映像を見たんだ。(見せられた、、?)

一つは『黒猫』の映像。
僕が飼っている黒猫が突然ライトの中に現れ、一度こちらを振り返ってからゆっくりと霧の中に消えて行った。 これは幻影だったと思う。 でも結果から言うと、霧が晴れてきた時、その黒猫の消えて行った方向に帰り道が続いていたのだからただの『幻』とは言い切れないのかもしれないが。

もう一つは『ヤマユリ』。
これは現実の映像だ。 これも霧が晴れた後でわかった事だけれど、僕が車を停めていた場所はヤマユリの花に囲まれていたのだ。 でもその時、白い霧のフィルターを透した様に現れたヤマユリの花や葉の輪郭だとか色だとかは、とても現実世界の映像とは思えないほどの美しさを感じたな。


『la planta』と題名の付いた植物写真のシリーズは、そんな現実世界と非現実的な世界との狭間を写し撮りたいな、、、との想いを込めて撮っている写真たちです。

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               スズキヨシカズ写真作品 『la planta 7』
by yoshikazusuzuky | 2011-02-01 23:47 | スズキヨシカズ的アート | Comments(0)
野町和嘉(ノマチカズヨシ)さんの写真を見た。

僕が見たのは『サハラ、砂漠の画廊』〜タッシリ・ナジェール古代岩壁画〜 と言う写真集の中の写真。 アルジェリアはサハラ砂漠の山脈地帯「タッシリ・ナジェール」に残る先史新石器時代の岩絵群をテーマにした写真だった。

凄かった。

写真作品としての風景の切り取り方はもちろんだけれど、やはり被写体たる岩絵は、まさに野町さんの使う言葉通り『異次元の大地』から発せられた鮮明な未知の画像のようで、、とにかく圧倒的な存在感だった。

「絵を描こう」 初めにそう思ったのは誰だったのだろう?

大地に生きるモノタチを『描こう』と誰が初めに思ったのだろうか?

「凄いな」 と写真の中の岩絵を見ながら思った。

『線』が息づいている。

『線』が、描かれている動物たちを生かしている。(岩という平面世界に動物たちを再び誕生させているんだ)

「凄いな」

「その場にいたかったな」 と思った。

誰かが言ったんだよ。 「俺、、あのキリンをあの岩に描いて来るわ、、」ってね。(その場に居合わせた人々は何と言ったんだろう?) (岩壁に絵を描き始めたヒトを、、そして描き上がったキリンの絵を見てどう思ったんだろう?)

「凄いコトだ」 


写真の一部は『野町和嘉』さんのホームページでも見れます。
http://www.nomachi.com/
キリンたちを目撃して下さい!


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             スズキヨシカズ絵画作品 色の在る線(1)

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             スズキヨシカズ絵画作品 色の在る線(2)

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             スズキヨシカズ絵画作品 色の在る線(3)




 
by yoshikazusuzuky | 2011-01-31 23:11 | スズキヨシカズ的アート | Comments(0)
高熱線照射は天空の中心から大地の中心へと真っ直ぐに振り下ろされる金色の光柱だ。

高熱線照射にさらされ純白の灰と化した大地の中心に僕は生まれた。

すべてが焼き尽くされた僕の足もとの純白の灰の中にはすでに、生まれたての火蛋白石の熱く冷たい光蟲たちが「ちらちら、、ちらちら、、」遊色を発しながら新たな棲家を求めて忙し気に動き回っているのが見えた。
僕の立つ円形の照射中心点以外の場所は生命力に溢れた緑柱石色の草海原が広がっている。(火蛋白石の熱く冷たい光蟲たちは草海原には棲めないらしい、、)

僕は高熱線照射中心点からの一歩を踏み出せずにいた。

この場所に留まり、再び時が満ちればまた、あの高熱の照射にさらされる事はわかっている。(その事は火蛋白石の熱く冷たい光蟲たちにもわかっている) 高熱照射にさらされれば僕のこの肉体は焼かれ、その存在は消し去られる。(火蛋白石の熱く冷たい光蟲たちもいなくなる)

僕は高熱線照射中心点からの一歩を、ずっとずっと長い間、踏み出せぬままこの場所に留まり続けていたんだ。(火蛋白石の熱く冷たい光蟲たちがどうしたいのかはわからない)

『満ちる時』に法則は存在せず、いつでも僕の肉体と火蛋白石の熱く冷たい光蟲たちは唐突に焼き尽くされる。

でも、、いつのまにか僕は、高熱線照射にさらされ純白の灰と化した大地の中心に立っているんだよ。
そして、僕の足もとの純白の灰の中には火蛋白石の熱く冷たい光蟲たちが「ちらちら、、ちらちら、、」「ちらちら、、ちらちら、、」と遊色を発しながら忙し気に動き回っているんだ。

僕はこの場所が気に入っているわけではない。
ただ純白の灰の中からの一歩を踏み出せずにいるだけなんだよ。


また、、時が満ちる。

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by yoshikazusuzuky | 2011-01-31 00:00 | スズキヨシカズ的アート | Comments(0)
『月光房』を包み込む自然の中のモノタチが色づけてくれた画用紙に『理科室のシリーズ』は生まれた。

『月光房』の裏の雑木林に吊り下げられた色とりどりの画用紙たち。 『自然』という風景の中にはとけ込めないヒトが作った色彩だ。
絵の下地を作っていると思う事がある。
どんなにたくさんの色を混ぜ合わせ、風化したように古めかしい色を作っても(イメージに限りなく近い色が作れたとしても)そこには計算された今の時間しか存在しない。 偶然が風味を加えてくれる事もあるが、それはほんとうに微々たるものだったりする。
自然の中に(僕の言う自然とは自然の中に在るすべての要因のコトです)起こり得る偶然にかなうわけはないのだ。 「ならば、、、」 と思った。 「ならば僕には起こせない残り70%の奇跡を自然の中のモノタチにお願いしてみよう」 、、と思ったんだ。

天候は毎日変わるし季節は巡り太陽の通り道もかわる。 月は満ち欠けを繰り返し月光は気まぐで、星明かりは樹々の葉を照らすだけで精一杯だ。 強い風に吹き飛ばされた画用紙を探して雑木林を彷徨う。(「彷徨う」は大袈裟だな) 千切れた画用紙を拾い集め、雪に埋もれた画用紙を掘り起こす。 あきらかに小動物の爪痕の残るものも在った。(熊もでたし、、)

そうして自然は、僕よりはるかに有効に『時間』を使い、画用紙に何かを吹き込んでくれた。

鮮やかな色が落ち着き、まるで『夜(ヨル)』と言う名の魔人を具現化したようなとりどりの『蒼(あお)い紙』を使って描いたのが『ブブ』と言う名前の犬がモデルの『俄雨(にわかあめ)』という作品だった。
「描いた」と言う言葉を使ったが(確かに「描いた」のだが)実は、僕は紙の中に現れていたシミをなぞって象っただけなのだ。 『蒼(あお)い紙』に浮かび上がっていたシミが『ブブの顔』に見えただけだったのだ。

(ではもう一度、素敵犬ブブの『俄雨(にわかあめ)』をどうぞ、、、。)

(綺麗な『蒼』だよね。)

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                      理科室のシリーズが生まれた日(2)に続く、、、
by yoshikazusuzuky | 2011-01-29 18:11 | スズキヨシカズ的アート | Comments(0)
、、、理科室のシリーズが生まれた日(1)からの続き


「暖色系に染めた画用紙たちの色変はもっと劇的だった。」

何と言えば良いのだろう、、。
その色は僕に風化した人工物の在る風景を連想させた。

『廃墟』、、とは別なのだ。
『廃墟』ではない。 それは、『ヒトが作ったモノ』に込められた、魂が風化した風景なんだ。

だから僕は、それらの紙には何も描かないつもりだった。(「描けない」と思った。)

でもね、そこで自然は僕に小さな悪戯を仕掛けていた。
紙を部屋に持ち帰り、床に並べている時にソレを見つけた。
一枚の紙に目を凝らす。 紙にね、雨蛙が一匹とまっていた。 雨蛙が一匹とまって、紙の色に極限まで同化していたんだよ。a0199297_15183344.jpg

蛙は生きているんだ。

ただじっと目を閉じて、紙になりきろうとしていた。

その時、僕の中の風景が一変した。

今まで『風化した人工物の在る風景』に見えていたモノの中に『知識』と言う言葉が加わったんだ。
紙の中に、ヒトの知識の、、、『化石化した知識の断片たち』が浮かび上がっていた。

僕は愛用する図鑑の中の文字を切り抜き繋ぎ合わせて文章を作った。
紙の中に存在するであろうと思われる図版も抜き出した。
それからそれらの文字や図版のインクを溶かし、紙に擦り付けて転写をした。(だから『理科室のシリーズ』の文字は鏡の中の様に左右が逆なのです)

そして最後に、いつからそこにいたのか想像もつかないが、、、たぶん彼(あるいは彼女)にしたら想像もつかぬほどの蛙時間を紙の上で過ごしたであろう、、、「雨蛙」に敬意を表して様々な蛙を描き『理科室のシリーズ』を完成させた。

『理科室のシリーズ』始まりのお話しでした。

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    (スズキヨシカズ絵画作品 『理科室のシリーズ最終章』 〜 百舌鳥(もず)が来る 〜 )
by yoshikazusuzuky | 2011-01-29 18:11 | スズキヨシカズ的アート | Comments(0)
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           スズキヨシカズ絵画作品 『理科室のシリーズ 3. 4. 』
by yoshikazusuzuky | 2011-01-29 00:16 | スズキヨシカズ的アート | Comments(0)
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           スズキヨシカズ絵画作品 『理科室のシリーズ 1. 2.』
by yoshikazusuzuky | 2011-01-29 00:15 | スズキヨシカズ的アート | Comments(0)