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スズキヨシカズ幻燈画室

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満月ノ晩ノ蒼色幻燈会 ... 始マリ始マリ

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昨日のつづき、、、。

いつでもそんな(「そんな」って言い方は失礼ですよね)坑夫上がりのじいちゃんたちとばかりつるんでいたせいだろうか?

ある日、突然、84歳になったときの自分を絵に描きたくなったのです。 「なんで84歳なの?」 なんででしょうね。 「何故?」よりも何よりも馬鹿げて聞こえる話しですよね。  なんだか自分でもよくわからないけれど84歳の自分をイメージしてしまったのでした。

あくまでも『イメージ』としての『84歳』です。(あたりまえですね)
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よくインスタント食品のパッケージ写真の隅っこ辺りに小さな文字で「これはイメージです」とか「盛りつけの一例です」とかって書いてありますよね? あんな感じです。(意味不明?)あくまでイメージなのです。 意識の中の現実の、すぐ数cmとなりに存在する世界の話しなのです。(笑)

まあそれはそうですよね。

84歳どころか、この絵を描いたのが20代後半ですからね。
1年後、いや一週間後の自分をさえイメージ出来ていないのに、50年以上も先のコトなんて、、、ね? 想像の範囲を超えていますよね。 

いったい何を考えていたのでしょうか?

でもね、この絵を描いていた頃は、よく同じ夢を見ました。 夜に、睡眠(ねむり)の中に見る『夢』です。
繰り返しではないのだけれど、それらはどれも『同じ夢』(同じメッセージ性を持った夢)のように僕には思えましたね。

その夢の中には季節も時間も存在しません。 何も存在しない。 何も存在しない夢の中の僕は、もちろん年齢も(もしかしたら性別さえも)失っているのです。
僕が、僕と言う肉体を持っていたのかどうかさえも怪しかったと思う、、、。

ストーリー性を無視した脈絡のない『夢』ばかりでした。
まさに『意識の中の現実の、すぐ数cmとなりに存在する世界』で起こっている出来事を夢の中に見ている感じでした。

目ざめた時には、もう何も覚えていないのに、『夢の思惑』のようなものだけは、くっきりと、僕の中に残されているのです。(『夢の思惑』っていったい何だ?)

それは無意識の領域で秒刻みに感じ取っていた、僕自身の『自我バランスの移動』(書いていて、自分でもこの言葉の意味がわかりませんが)だったのかもしれません。 「僕は移動し続けているのです」 「僕は移動し続けていたのです、、常に」  自我が均衡と調和を求めて僕の意識の領域を移ろっているのです。
僕の中を、たくさんのモノタチが行ったり来たりしていたのです。(いまもそうなのだろうか?)

この絵は、『老いた日の、、、』と題名にうたいつつも、あの時、瞬間瞬間の、自分自身に違いなかったのだと思います。


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            スズキヨシカズ絵画作品 『老いた日の自我像』


ちょっとだけ違うカテゴリーに属するモノかもしれないけれど、僕の友人が、僕を撮ってくれた写真を添えてみます。(勝手に載せたらおこられるかな? 黙っとこう、、、)

『僕のポートレート』

この写真を撮ってくれた僕の友人の感性はいろいろなモノたちを超越しています。

この写真は間違いなく僕の肖像なのです。

ものすごく気に入っている肖像写真なのです。

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(ちなみに『風花画廊』の作家ページに掲載されている僕のポートレートも、その友人が撮ってくれたものです。(勝手に載せちゃったんだけど、、おこられるかな? 黙っとこう、、、)
by yoshikazusuzuky | 2011-02-28 23:11 | スズキヨシカズ的アート | Comments(2)
スリアは岩塩鉱山に支えられた町でした。

岩塩と言っても食用ではなくて工業用のプラスチック、薬品などの原料として利用される『ポタッサ』と呼ばれる岩塩です。(写真は岩塩が地表に露出し水によって浸食され出来たカタチですね)a0199297_035990.jpga0199297_0344386.jpg











スリアの町の入り口と出口の丘の上には、地底数百メートルの坑道へと続く、緑色の鉄骨で組まれた大きな巻き上げ機がそびえ立ち、スリアの町を見渡しているのです。
スリアの町に生まれた子供たちは小学校の授業で必ず坑道内部の映像を見せられるのだそうです。
子供たちの父親の多くは坑夫なので、小さな頃からそうして何かを学んでゆくのでしょうが、見せられる映像は、現実の苛酷な労働を想像させないほどに美しいのだそうです。
いちど子供たちから聞かされたのは『青く透明なガラスの部屋』の話しでした。
掘り進められた坑道の四方八方全ての壁は岩塩で出来ているため、青く透明な岩塩の層を突き抜ける坑道はライトの光を何処までも吸収して坑道全体が青く輝いているのだそうです。 とにかく、それはそれは美しすぎるお伽話の世界のような映像を見せられたのだそうで、、、その話しをしている子供たちの目は、キラキラと輝いていたのでした。
そんな話しを聞いてしまった僕が坑道に降りたがらないはずはないですよね!(笑)
「降りてみる?」と声をかけてもらって即、二つ返事で緑色の巻き上げ機のエレベーターで(こ、、、怖かったです)(この段階ですでにもの凄い恐怖を味わいました!)数百メートルの地底へ、、、。 そこは! そこは『青く透明なガラスの部屋』などではありませんでした。 砂埃よろしく、塩埃が舞い視界が霞む、塩、塩、塩、塩の熱すぎる地底世界だったのでした。
坑道から出て2、3日は鼻が痛くて痛くてたまりませんでした。
防塵マスク無しでは肺が潰れてしまいますね。
そこは、お伽話の世界などではなく過酷な現実世界でした。

そんな過酷な世界で働き抜いた男の笑い顔のスケッチです。

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               スズキヨシカズ絵画作品 『笑う男』

なんて名前だったっけな? よく僕の画室に遊びにきてたナターリャって名前の娘(こ)の、じいちゃんなんだよね。 名前が出て来ない、、、。 酒やけした赤ら顔と、酒やけした喉から絞り出すようなガラガラした笑い声が印象的なじいちゃんだった。

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そうだ。
そうなのです。
僕はいつもナターリャのじいちゃんを『ナターリャのじいちゃん』と呼んでいたからね。 名前が思い出せないのではなくて、僕は『ナターリャのじいちゃん』の『名前』を知らないのかも知れないのです。(自分の記憶じゃないみたいに話すね)

『笑う男』は僕の中ではこれからも『ナターリャのじいちゃん』という名前で記憶され続けてゆくわけです、、、ずっと。

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   ある夏の夕暮れ、『ナターリャのじいちゃん』とセルベッサ(ビール)を飲みながら、、、。



                                    、、、つづく
by yoshikazusuzuky | 2011-02-27 23:11 | スズキヨシカズ的アート | Comments(2)
今夜の僕はお出掛け中です。

何時に帰って来るのかな?

わからないので今夜のブログはおやすみです。

僕がお世話になっている福島県福島市の画廊、『風花画廊』のお祝い事です。『オメデトオメデト

風花画廊のホームペイジにジャンプしてみて下さい。 画廊主である後藤五木(ごとういつき)氏のブログはじつに贅沢に盛り沢山な海鮮丼のように味わい深いブログです。 素材の味が活きています。 (これは心のソコからの最高の褒め言葉のつもりで使わせていただいてます) ぜひご覧になって下さい。 先日、作家ページに僕のプロフィールと作品たちの写真も加えていただきました。「アリガトゴザイマシタ」

今夜の僕は、とてもとても楽しんでいます。

では、、、行ってまいります。

また明日。

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              スズキヨシカズ写真作品 『また明日、、』
by yoshikazusuzuky | 2011-02-26 11:11 | | Comments(0)
『今日は死ぬのにもってこいの日』で、ネイティブアメリカンの詩を書き写していた時に、本当は「むくむくむく」と書きたい事があったのです。
でも、、『鉱物』の話しだったので、、ね。(苦笑)
長い長い水晶の話しを終えたばかりだったし、、「またですかあ〜」って声も聞こえてきそうだったし(どこから? 笑)、、で、「ぐぐ」っと呑み込んでしまったのでしたが、、「やっぱり書きます!」(笑)

『アパッチの涙』です。
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アメリカはアリゾナ州産出の『アパッチの涙 〜Apache Tears〜(アパッチ・ティアーズ)』と呼ばれる『黒曜石 〜Obsidian〜(オブシディアン)』です。
『黒曜石』とは、非晶質の(結晶していない)火山性天然ガラスですね。 火山活動のある場所(かつて火山活動があった場所)から産出されます。 つまりは自然の溶鉱炉で作られたガラスです。

『アパッチの涙』は「ころり」とした球塊状で産出します。
よく見かける大きさは、直径2〜3cmくらいかな。 メタリックな黒色をしたビー玉みたいな珠が、溶岩が固まって出来た白い流紋岩(りゅうもんがん)の中から顔を覗かせている姿はとても愛らしいのだけれど、その名前の由来は、けっこう重たいネイティブアメリカンの歴史でもあるのです。
お話しはこうです。
『アパッチ』はアメリカの先住民族の部族の名称です。
西部劇(今はほとんど見かけないけど、僕が子どもの頃は、よくテレビで西部劇映画をやっていた記憶があるな。小学生のころ、漫画雑誌の裏表紙に載っている通販で、「クリント・イーストウッド」や「スティーブ・マックイーン」のブロマイドとか買ってましたもの)に登場するあの『アパッチ族』です。
『アパッチ族』って勇敢な戦士の部族なんですよね。
外部世界のアメリカ人開拓者や外国からの開拓者たちから、精霊宿る神聖なる自分たちの大地を守る為に彼らは戦ったのです。
しかし、外部世界の武器ひとつをとっても『アパッチ族』にはかなうものではなかったのですね。 戦いに破れ、(もちろん命を落とした者がほとんどだったのでしょうが)生きる場所を失ったアパッチの人々の流した涙が大地に埋もれ、固まったのが『アパッチの涙』だ、、、と言われているのです。

そういう想いを頭の中においてこの石を見ると、少しだけ見え方が変わってきたりもしますよね。

黒色の不透明ガラス塊に見えますが、光に翳すと琥珀色に透き通っていることに気付きます。
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そもそも、『黒曜石(オブシディアン)』と言うと真っ黒いイメージがあるけれど、実は『煙水晶』の様な琥珀色だったり、青みがかった灰色だったり、あるいは緑色(紫外線に反応して緑色を発色します)だっり、、『虹色黒曜石』(クラックなどの粉砕面が虹色に見えるのではなくて本当に虹色なのです!)なんて言うのもあるんです。 『瑠璃(るり)』と呼ばれる空色のモノもあるけど、、本当に自然に発色したモノなのかどうか僕には確信が持てないのですが、、でも素敵に美しいです。

僕は黒曜石には思い入れの深いモノがあるのです。 それは小さな頃(小学校低学年)の頃の記憶に直結しているのですが、、とてもとても長くなるので今日は書きません。 またいつか、書く時が来たら書かせて下さい。

日本の黒曜石も載せてみたいと思います。

北海道遠軽町で採れる『十勝石』と『花十勝』です。
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『十勝石』は河流れの黒曜石で、河を流れて角が取れて小石のように丸みを帯びたものです。 でも割ってみるとご覧の通り、鋭いガラス面が現れます。

『花十勝』は黒色にマーブル模様(霜降り模様?)の様な朱色が混じったものです。

ああ、、、 『ガラス』つながりで、「チェコスロバキアのモルダバイト」とか世界各地の「テクタイト」とか、、、隕石衝突によるインパクトガラスの事も書きたくなってしまったな。 書きたくなってしまったな。(笑)
またこんど。 またこんど。

きょうは、おしまい。(微笑)


         ちなみにね、、チェコのモルダバイトはねぇ、、、こんなです。 
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                   「あのね、、隕石が衝突した時の衝撃熱で地面が溶けてね、、こしょこしょこしょこしょ」
                 ないしょばなしないしょばなし、、、  
by yoshikazusuzuky | 2011-02-25 23:12 | 理科室の記憶 | Comments(0)
『対話』と同じ時期に描かれた『街角にて』という題名の絵です。

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              スズキヨシカズ絵画作品 『街角にて』


このお爺さんの『絵』にはモデルがいます。
スリアの商店街に買い物に出ると、2軒並んだ八百屋さんと八百屋さんのちょうど真ん中辺りの壁に寄り掛るようにして、決まってこのお爺さんが立っているんだよね。(必ず立っているのです。)
とても精悍な顔立ちのお爺さん。
『お爺さん』と呼んでいたけれど、もしかしたら『おじさん』ぐらいの年齢だったのかもしれない。(年齢不詳、国籍不詳的な感じを漂わせていましたね。)
背筋から首筋までがすっきりと伸びやかで、お爺さんが女性だったら彫刻のモデルになれそうな感じだったな。

僕はこのお爺さんの姿を見るたびに決まって一つの映像を思い浮かべました。

それは、「ネパールの山岳地帯の抜けるように蒼い空を悠々と滑空する大きな黒い鳥」の映像でした。

そのイメージから何かの記憶に繋がって場面が展開してゆくと言うわけではなくて、、ただただ一つの凍結された静止画像として、ネパールの山岳地帯の抜けるように蒼い空にシルエットを残像する大きな黒い鳥の映像を見るのでした。

ネパールの空に大きな鳥、、。 やっぱり『鷲』なのかな? イメージ的には鷲っぽいですよね。

でも、『ダフェ』はどうでしょう?  

『ダフェ』は違うか。 大きな鳥だけれど違うな。 『ダフェ』は大空を飛び巡ったりはしないだろうな。 「『ダフェ』だったら良いのにな」 、、と思っただけですから。(笑)

『ダフェ』って鳥、、知ってますか?

『ダフェ(danphe)』はネパールの国鳥です。(『ダフェ』って現地名なのかな?) 和名は『虹雉(ニジキジ)』と言います。 インドやチベット、ネパールの山岳地帯(標高2,000m以上)に棲息する大型の雉ですね。 その名前が表す通りに体羽はメタリックな虹色をしています。 首筋で「ギラギラ」と輝く朱色は、まるで爬虫類の鱗のようです。 そして頭には「ぴん」とした、孔雀のような冠を戴いているのです。(『冠羽』と言います) アレ、可愛いんですよね! 「ぴんぴんぴん」って。 寝癖みたいに可愛い。(微笑) 誰かに「くしゃくしゃくしゃ」ってされたのかな?(笑)
日本の雉の体羽も綺麗だけれど、それよりも色鮮やかな感じかな。(日本の鉱物と外国の鉱物の違いみたいに?)
たしか上野動物園の鳥類エリアで『ダフェ』を見かけた気がするのだけれど、、、記憶が定かではありません。

雉の仲間では、大空を滑空するようには飛びませんものね。

あらら? また話しが逸れてしまいました。 『ダフェ』の話題で終わってしまうなんて、、。(苦笑)

『ダフェ』の画像です。 よかったら見てみて下さい。(笑)

追伸:先日の『琥珀色の河』は、やはり『ネグロ河』だったみたいです。 Mr.『K』、仔細なレポートを有り難うございました。お手数をおかけしました。(微笑)
by yoshikazusuzuky | 2011-02-24 23:14 | スズキヨシカズ的アート | Comments(4)
僕のスペイン暮らしで、その半分の時間を過ごした小さな町『 SURIA(スリア)』。
その町の、不揃いの石が敷き詰められた長い長い坂道の途中に建つ古い古いピソ(アパート)が僕の住処と画室だった。

写真はピソの入り口(玄関)の頭石(あたまいし)に彫られた、このピソ最初の住人の『表札』。 彫られた当時のままのオリジナルだそうです。 『1739』と言う数字と、たぶん住人の姓名(屋号なのかな?)が彫られています。 数字の『1739』は、1739年に建てられたピソだってコトですね。 今から272年前です。 272年前? 272年前がどんな時代だったかなんて想像もつきませんよね。 調べてみても(元文4年なんて言われても)「ピン」とこないので時代背景は知らないふりをします。(笑)

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「なぜいきなりこの写真を?」

「何故でしょう?」

昨日の文章に添えさせてもらったネイティブ アメリカンの『瞑想』(題名なのかな?)というフルートの演奏を聴いていたら(オーロラの写真も幻想的でしたよね)何故だか突然に、二つの映像が頭の中に浮かんできたのでした。
その一つが、僕がスリアで住んでいたピソの入り口に刻まれた年号と飾り文字。 そして、もう一つは僕がスペインから帰国する前に描いた『対話』と言う題名の、この作品でした。

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                スズキヨシカズ絵画作品 『対話』


自身の『影』と対話しているお婆さんを描いた作品です。 この絵の中に登場しているお婆さんにはモデルがいません。(たぶん何処かの街角で見かけたお婆さんなんだと思うんだけれど、、、憶えていないのです) なんとなくネイティブアメリカン的な風貌、、、と言うか絵の中にそんな雰囲気が漂っているようにも感じるけれど、、でもね、『音』で繋がっているような気がするんだ。 あの「ざらり」としたフルートの音と、この、お婆さんの絵の中に感じる音、、、。 その二つの『音』が何処かで繋がっている気がするんだよね。

これは付け足しだけれど、スリアの裏山を散歩している時に出逢ってシャッターを切った、「ざらり」としたモノタチの写真を添えてみます。
この3枚の連ねられた写真と絵から、、何と言うのかな、、僕は『時間の埃』(じかんのほこり?)のようなモノを感じるんですよ。

指先になぞると、「ざらり」とした『時間の埃』の気配を感じるのです。

「ざらり」

「ざらりとした気配」が、謎解きの鍵なのかな?(べつに謎でもなんでもないんだけど、、笑)


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              スズキヨシカズ写真作品 『風化風景』
by yoshikazusuzuky | 2011-02-23 23:11 | スズキヨシカズ的アート | Comments(2)
長い間、わたしは君とともに生きてきた。
そして今、わたしたちは別々に行かなければならない、
一緒になるために。
恐らくわたしは風になって
君の静かな水面を曇らせるだろう、
君が自分の顔を、あまりしげしげと見ないように。a0199297_15423094.jpg
恐らくわたしは星になって
君の危なっかしい翼を導いてあげるだろう、
夜でも方角がわかるように。
恐らくわたしは火になって
君の思考をえり分けてあげるだろう、
君が諦めることのないように。
恐らくわたしは雨になって
大地の蓋(ふた)をあけるだろう、
君の種子が落ちてゆけるように。
恐らくわたしは雪になって
君の花弁を眠らせるだろう、
春になって、花開くことができるように。
恐らくわたしは小川となって
岩の上で歌を奏でるだろう、
君独りにさせないために。
恐らくわたしは新しい山になるだろう、
君にいつでも帰る家があるように。




by yoshikazusuzuky | 2011-02-22 23:59 | | Comments(2)
『宮沢賢治』つながりでお話が続きます。

今日は僕が10代の頃に描いた二枚の絵を紹介させて下さい。 『10代の頃の絵』とは言っても技術面の未熟さ以外はなんら恥ずかしいと言う感情を感じるコトもなく「ぽんぽん」っと載せてしまうのでした。(笑) こうして作品の写真を見詰めていると、10代の僕も、今の僕も、中身は全く変わっていないのだな、、と、再確認させてくれます。(「良い意味で」、、と思いたい)(苦笑?)
どちらの絵も、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を主題にしています。

そしてどちらも写真でしか見ることの出来ない絵です。

この絵はバルセロナ市に住む或る陶芸家のご夫婦が購入して下さいました。 僕がカタロニア州文化局のプロジェクトに初めて参加した年だから、、25年も前の話しです。 二人の名前はカルロスとエステルと言いました。 二人は僕の絵をとてもとても好きになってくれて大切に大切にしてくれていました。 ところが或る日、二人の住むピソ(アパート)が何の予兆もなく突然に崩壊してしまったのです。 比喩的な意味での『崩壊』ではなく、現実に5階建てのピソが崩壊し瓦礫の山に変わってしまったのです。 本当に、或る日、突然に、、です。  建物の老朽化(古い地区は築100年以上の建物ばかりですからね、、、ちなみに僕がバルセロナで住んでいたピソは築130年でした)と、その年はやけに雨が多くて湿気も悪い要因の一つになってしまったのですね。
不幸中の幸い、、、カルロスとエステルは外出中でケガなどはなかったのですが、二人が大切にしていた家財道具や作品の一切合切が瓦礫の中に消えてしまったのでした。 もちろん僕の絵も消えてしまったのでした。

「自分の絵とのこんな別れ方もあるんだ、、」

悲しみも驚きも、ものすごくものすぎく大きかったけれど、、、とても静かな気持ちでそうも思ったのでした。


この二枚の絵には、もう触れるコトができません。


こうして写真の中に感じるコトができるだけです。


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      スズキヨシカズ絵画作品 『星祭りの夜に』〜ケンタウル祭の夜〜(F60号)


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      スズキヨシカズ絵画作品 『北十字』〜北十字とプリオシン海岸〜(F60号)

 





 
by yoshikazusuzuky | 2011-02-21 23:11 | スズキヨシカズ的アート | Comments(4)
『宮沢賢治』の宇宙観(世界観と呼ぶと窮屈に感じる)に引き付けられるのは何故だろう? と、よく考える。

初めて宮沢賢治の文章を読んだとき、さっぱり意味がわからなかった。 だってそうでしょう? 宇宙の星や星座の名前だけならまだしも、聞いた事もないような鉱物の名前が色や情景に置き換えられていたり、わけのわからない呪文のように並べられたカタカナ言葉が文章の随所から湧き水のように溢れ出しているんだもの、、、それは難解だったと思うんだ。a0199297_10123725.jpg
でも、そう思いながらも最後まで読めてしまう(読んでしまう)のも確かなことで、、、。 読み終わった後に来る余韻もまた、僕にとっては衝撃的に不思議だったな。


『黄水晶とエメラルドとの 花粉ぐらゐの2つの星が 童話のやうに婚約する じつに今夜の何といふそらの明るさだらう そらが精緻な宝石類の集成だ 金剛石の大トラストが 穫れないふりしてしまって置いた幾億を みんないちどにぶちまけたとでもいう風だ』 「北いっぱいの星ぞらに」より

『ザッ、ザ、ザ、ザザァザ、ザザァザ、ザザァ、 ふらばふれふれ、ひでりあめ、 トパァス、サファイア、ダイアモンド。』 『トッパァスのつゆはツァランツァリルリン』 「十力の金剛石」より


言葉って宝石なんだよ。

いつから、これら本当の意味での宝石のような言葉たちを理解出来るようになったのだろうか?

いや、理解はしていないな。 ついぞ理解は出来ずにいる。

それはまるで「水」という名前の透明な「鉱物」を口に含み、そして細胞に染み込ませるように、言葉をただ体内へと摂り込んでいるだけ。 「何故?」なんていう「疑問符」付きの言葉は、宮沢賢治の文章には必要無いものね。 「理屈ではないんだ。」 『心で感じる』というコトを言葉に表すと、きっと宮沢賢治の文章になるのではないかな。 触れるだけで感じるコトが出来る、、という事を、宮沢賢治の文章は証明し、ある方角を指し示してくれている気がするんだ。

そのコトに気づいた瞬間から、宮沢賢治の文章は「すっ、、」と体の中に入ってきてくれるようになった。(けして頭の中に入って来るのではなくて体の中に入って来るんだ!)

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僕には二つ、大好きな文章がある。

一つは、昨日『星めぐりの歌』の前に写させてもらった イーハトーブ童話集『注文の多い料理店』の序文 だ。(あの文章を読むと何故だか何処からだか元気が湧いて出てくる)

そして、もう一つ。
それは、宮沢賢治が『心象スケッチ』とよんだ詩集『春と修羅』の序文、、、。

この文章は特別な文章でなければならない、、と、この文章を目にする度に感じながら読んでいる。

この文章も写させて下さい。


『わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です (あらゆる透明な幽霊の複合体) 風景やみんなといっしょに せはしくせはしく明滅しながら いかにもたしかにともりつづける 因果交流電燈の ひとつの青い照明です (ひかりはたもち その電燈は失はれ) これらは二十二箇月の 過去とかんずる方角から 紙と鉱質インクをつらね (すべてわたくしと明滅し みんなが同時に感ずるもの) ここまでたもちつづけられた かげとひかりのひとくさりづつ そのとほりの心象スケッチです』



「わたくしという現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です」
「あらゆる透明な幽霊の複合体なのです」





「ワタクシトイウゲンショウハ カテイサレタユウキコウリュウデントウノ ヒトツノアオイショウメイデス」  「アラユルトウメイナユウレイノフクゴウタイナノデス」
by yoshikazusuzuky | 2011-02-20 23:11 | | Comments(2)
わたくしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗〈らしゃ〉や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。
ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。
ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。
ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。
なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。

              大正十二年十二月二十日             宮 沢 賢 治

                     〜イーハトーブ童話集『注文の多い料理店』序文〜



『これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。
なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。』

素敵な文章だなあ、、、。(微笑)
                               




               『あかいめだまの さそり
                ひろげた鷲の つばさ
                あをいめだまの こいぬ、
                ひかりのへびの とぐろ。

                オリオンは高く うたひ
                つゆとしもとを おとす
                アンドロメダの くもは
                さかなのくちの かたち。

                大ぐまのあしを きたに
                五つのばした ところ。
                小熊のひたいの うへは
                そらのめぐりの めあて。』



天の川の西の岸                                           スギナの胞子ほどの小さな二つの星                                  チュンセ童子とポウセ童子という名前の双子のお星さまの小さな水晶宮                   透き通る水晶宮から溢れ出す銀笛の旋律                                空を巡る星の歌に合わせ                                        二人は銀笛を吹くのです                                     「ルウリラン ヤーラ トゥーリラン サナ」                                「聴コエマスカ?」                                            「僕ハココダヨ」



               『あかいめだまの さそり
                ひろげた鷲の つばさ
                あをいめだまの こいぬ、
                ひかりのへびの とぐろ。

                オリオンは高く うたひ
                つゆとしもとを おとす
                アンドロメダの くもは
                さかなのくちの かたち。

                大ぐまのあしを きたに
                五つのばした ところ。
                小熊のひたいの うへは
                そらのめぐりの めあて。』


            
             
            「ルウリラン ヤーラ トゥーリラン サナ」



            
by yoshikazusuzuky | 2011-02-19 23:11 | | Comments(2)