第十一日目(スリアの町を紹介します、、の続き)
夕方、外出したとき、、
通りの薬屋さんの前に設置された温度計は、、、
37℃ を表示していました。 (げげげ)
今週末、まだまだ気温は上がるのだそうです。 (やれやれ)
コチラは、
もうすぐ日付が変わる時刻です。
僕がスリアに住むきっかけとなった「スリア芸術村」を企画した、
当時、市役所文化担当だったパウの家で夕食をご馳走になって帰宅したところです。(先日ご紹介したメルセとパウが全ての文化行事を企画していました)
パウの奥さんはドロースと言って「七宝焼(エスマルテ)」の作家さんで、
当時僕たちと一緒に芸術村に参加していました。
僕たち夕食のために、
二人が丹誠込めて育てている野菜を収穫してくれました。
ズッキーニのグラタン風オーブン焼きや ニンニクの芽と卵とエビの炒め物、
タコを柔らかく蒸し上げてパプリカをまぶしたモノや、
ジャガイモにアンチョビやチーズをのせて焼いた料理がならびました。
野菜中心なのに、
深いコクのある料理の数々を堪能しましたよ。 (^〜^)
出掛ける前にしていたお話しを続けます。
フルヘンシの家の前で
坂道は終わり、、
プエブロビエッホの中心となる広場、
「マヨール広場」に入って行きます。
マヨール広場(大きな広場)と言っても小さな広場なんですけどね。(^^;)
マヨール広場の西のかどに、、
住んでいた家があります。
その昔のこの家は、
「修道院」として使われていました。
現在この家の一階部分は、
かつて彩香が所属していた「ファドリネッツ デ スリア」と言う
スリアに伝わる「お祭りの踊り」を伝承して行く子どもたちのグループ(現在は残念ながら解散してしまったそうです)の歴史を展示した、
博物館になっていました。
そのグループのリーダーだったマリアと、
グループの総元締だったセニョールホセに会いました。
「ドン」と呼ぶにふさわしい恰幅で厳しくも優しかったセニョールホセも、
すっかりおじいちゃんになっていました。 (微笑)
マヨール広場の東のこの場所は、
「ガレリア(画廊)」、、
僕が制作した作品を展示販売するギャラリーでした。
マヨール広場を囲む細い通りです。
あの頃、
この素晴らしいアーチの奥には、、
サンロマとテレサと言う陶芸家の夫婦の工房がありました。
その工房は修復されて、
素敵なギャラリーになっていました。
マヨール広場から東にのびる
細い道を進むと、
正面にマリアさまの浮き彫りが施された 教会が見えて来ます。
「サン ロゼール教会」です。
僕のアトリエの窓からは教会の鐘楼が見えました。
鐘楼のとなりの家には、
数年前に亡くなってしまったけれど、、 教会守のリディアと言う優しいおばさんが住んでいました。
リディアが日本に送ってくれたロゼール教会のマリアさまの写真を、
僕は肌身離さず持ち歩いています。
僕のお守りです。
ロゼール教会の坂を上ると、、
「カスティーリョ デ スリア(スリア城)」の入り口です。(かつて彩香が撮ったのと同じシチュエーションで夢人の写真を撮ってみました ^^)
僕のスリア初個展も最後の個展も、
このスリア城が会場でした。
現在は、
スリア城の歴史を常設する博物館になっていました。
スリア城では、、
ペラが待っていてくれました。
ペラも僕に登って遊んでいた(笑)小さな友達だったのですが、、
すっかり大人になってしまいました。 (わらわら)
スリア城を通り過ぎると、、、
レオナルドの家があります。
レオナルドと奥さんのイサベルです。
ラウラとマリーナと言う二人の娘がいます。
僕がマリーナのような娘がほしいと思っていたからなのかどうかはわからないけれど、、
生まれた彩香はマリーナお姉ちゃんが大好きで、
マリーナも彩香をとても可愛がってくれました。
僕が描いたマリーナのデッサンです。
彩香がスリアを訪問した時は、
レオナルドが全てセッイングしてくれて、
彩香は2週間をレオナルドの家でマリーナと一緒に過ごしました。
今回もレオナルドは僕のためにいろいろとセッティングしてくれていて、
明日、午後一時には市役所に市長さんを表敬訪問することになっているし、、
(スリア市が白河市のためにしてくれた募金活動等の心からのお礼も伝えなければなりません)
午後二時からは20数名の僕を知る方々が集まるレストランでの昼食会も企画してくれているのです。
昼食会の後はレオナルドが僕と夢人をマンレッサの駅まで送ってくれるコトになっています。
ただただ、、 感謝です。
(微笑)
レオナルドの家の前の通りを抜けると、、
プエブロビエッホの終点を告げる
十字架がたっています。
散歩をした、、
砂利道は、
すっかりアスファルトの道路に変わっていました。
スリアの象徴でもある、
岩塩を掘る鉱山もすぐそこに見えます。
終点のオリーブ畑から見える風景は、、、
むかしのまんまでしたけどね。
(^〜^)
通りの薬屋さんの前に設置された温度計は、、、
今週末、まだまだ気温は上がるのだそうです。 (やれやれ)
コチラは、
もうすぐ日付が変わる時刻です。
僕がスリアに住むきっかけとなった「スリア芸術村」を企画した、
当時、市役所文化担当だったパウの家で夕食をご馳走になって帰宅したところです。(先日ご紹介したメルセとパウが全ての文化行事を企画していました)
パウの奥さんはドロースと言って「七宝焼(エスマルテ)」の作家さんで、
僕たち夕食のために、
ズッキーニのグラタン風オーブン焼きや
ジャガイモにアンチョビやチーズをのせて焼いた料理がならびました。
野菜中心なのに、
深いコクのある料理の数々を堪能しましたよ。 (^〜^)
出掛ける前にしていたお話しを続けます。
フルヘンシの家の前で
プエブロビエッホの中心となる広場、
マヨール広場の西のかどに、、
その昔のこの家は、
現在この家の一階部分は、
かつて彩香が所属していた「ファドリネッツ デ スリア」と言う
スリアに伝わる「お祭りの踊り」を伝承して行く子どもたちのグループ(現在は残念ながら解散してしまったそうです)の歴史を展示した、
そのグループのリーダーだったマリアと、
グループの総元締だったセニョールホセに会いました。
すっかりおじいちゃんになっていました。 (微笑)
マヨール広場の東のこの場所は、
僕が制作した作品を展示販売するギャラリーでした。
あの頃、
この素晴らしいアーチの奥には、、
その工房は修復されて、
マヨール広場から東にのびる
正面にマリアさまの浮き彫りが施された
鐘楼のとなりの家には、
数年前に亡くなってしまったけれど、、 教会守のリディアと言う優しいおばさんが住んでいました。
リディアが日本に送ってくれたロゼール教会のマリアさまの写真を、
僕は肌身離さず持ち歩いています。
僕のお守りです。
ロゼール教会の坂を上ると、、
僕のスリア初個展も最後の個展も、
現在は、
スリア城の歴史を常設する博物館になっていました。
スリア城では、、
ペラも僕に登って遊んでいた(笑)小さな友達だったのですが、、
すっかり大人になってしまいました。 (わらわら)
スリア城を通り過ぎると、、、
ラウラとマリーナと言う二人の娘がいます。
僕がマリーナのような娘がほしいと思っていたからなのかどうかはわからないけれど、、
生まれた彩香はマリーナお姉ちゃんが大好きで、
マリーナも彩香をとても可愛がってくれました。
彩香がスリアを訪問した時は、
レオナルドが全てセッイングしてくれて、
彩香は2週間をレオナルドの家でマリーナと一緒に過ごしました。
今回もレオナルドは僕のためにいろいろとセッティングしてくれていて、
明日、午後一時には市役所に市長さんを表敬訪問することになっているし、、
(スリア市が白河市のためにしてくれた募金活動等の心からのお礼も伝えなければなりません)
午後二時からは20数名の僕を知る方々が集まるレストランでの昼食会も企画してくれているのです。
昼食会の後はレオナルドが僕と夢人をマンレッサの駅まで送ってくれるコトになっています。
ただただ、、 感謝です。
(微笑)
レオナルドの家の前の通りを抜けると、、
散歩をした、、
砂利道は、
すっかりアスファルトの道路に変わっていました。
スリアの象徴でもある、
終点のオリーブ畑から見える風景は、、、
(^〜^)
by yoshikazusuzuky
| 2013-08-01 08:50
| 繋がる想い
|
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